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ホワイトアウト:ビギニング

「ねえ、まさらってもう楽しいこと全部やり尽くしちゃったの?」

 目の前に立つ背中を向けたこころが尋ねてくる。まさらは首を横に振る。

「この世界に好きなものなんてない、この先もできないって諦めてたから。やってないことはたくさんある」

「そっか。じゃあ……これもやってないと、いいな」

 こころは振り向いてまさらをまっすぐに見つめた。まさらは無表情に眼差しを受け止める。ふっ、とこころは表情を柔らかくすると、彼女はゆっくりと前に歩いた。ふたりの距離が接近する。そして——


 まさらはベッドから身体を起こした。部屋にはカーテン越しの朝陽が差し込み、勉強机の上には満面の笑みのこころと仏頂面のまさらが写った写真立てが飾られている。山に登った時に撮ったものだ。まさらはその写真を見ながら、自分の唇に指を触れさせた。夢で感じた感触の再現には程遠かった。

 夢の中で、まさらはこころとキスをした。

「まさら、今日調子悪い?」

 中央学園、昼休み。ひとつの机にふたつの弁当箱を広げながら、向かいに座るこころが尋ねた。まさらは首を横に振る。

「健康よ。どうして?」

「だって、いつもよりぼーっとしてるっていうか。いつもは何考えてるのかわからないって感じだけど、今日は本当に何も考えてないみたい」

「……外から見て、そのふたつの違いはわかるの?」

「わかるわかる! だって私、まさらに詳しいもん!」

 まさらはまばたきのみを返し、弁当箱に視線を落とした。食事に楽しみを見いだせなかった彼女のこれまでの昼食は、通学路にあるコンビニで買えるおにぎりやブロック型栄養菓子、あるいは無が普通だった。家で弁当を作ってくる、または親に作ってもらうという選択肢は彼女にはなかった。それによる双方のメリットが思い浮かばなかったからだ。

 それを知ったこころは、最初は不満に思ったもののさしたるアクションは起こさなかった。迷惑がられるのが関の山だと考えたのだ。だがある程度仲良くなり(とこころが認識し)、少々強引なほうが効くと知ったこころは、ある時まさらの分の弁当も作ってくると宣言した。こころの予想通りまさらは断ったが、毎日のように強引に持ってきたことで、ひとつの机にふたつの弁当箱は日常の風景となった。

「あの、何か返事してくれないと恥ずかしいんだけど」

 まさらが弁当箱から意識を戻すと、頬を染めたこころの顔があった。まさらは首を傾げる。

「恥ずかしい? どうして?」

「だって……冗談の解説させるつもりなの?」

「冗談? あなたが私に詳しいのは事実だと思うけど。一番大事な秘密を共有してるんだから、その点では家族よりも詳しいと言えるんじゃないかしら」

 まさらはソウルジェムの指輪に触れた。その手をこころの手が上から軽く叩いた。

「まさらはもうちょっと冗談がわかるようになって」

「……まあ、あなたが冗談だって言い張るならいいわ」

「もう……」

 頬の赤みを残したこころは卵焼きを食べた。照れ隠しだ。まさらもまた卵焼きを食べる。

「……ん?」

 周りの喧騒をBGMにしばらく無言で食べ続けていると、ふとこころはまさらの鞄から薄ピンク色の可愛らしい封筒が覗いていることに気がついた。一瞬はプライバシーだからと気にしないようにしたが、目に飛びこんできたハートマークの封にまさらを見ずにはいられなかった。

「なに?」

「ねえ……それラブレターじゃないの?」

「ああ……そうかもね」

 まさらはさして興味もなさそうに封筒を一瞥しただけで、それ以上の言葉はないようだった。こころは眉根を寄せる。

「ちゃんと中は見た?」

「いいえ」

「いいえって……なんで!?」

 こころの驚愕に対し、まさらの反応は冷淡なままだ。

「これが本当にラブレターだったとして、書いてあるのはいついつどこどこに来てください。そこでされるのは告白。私の返事はごめんなさい。双方にとって時間の無駄」

「……じゃ、じゃあこう! これはそもそもラブレターかどうかわからないでしょ! だからちゃんと確認しないと!」

 まさらは弁当を食べる手を止めた。食い下がりすぎて怒らせてしまっただろうか。こころは反省する。

「それもそうね」

 まさらは怒ったわけではないようだった。納得したように頷くと、封筒を手に取り、中の便箋を取り出した。

「…………」

 彼女は便箋を斜め読みし、封筒に戻した。そして再び弁当を食べ始めた。

「どうだったの?」

「ラブレターだったわ」

「なんて書いてあったの!?」

「お昼休みに屋上に来てほしいって」

「行かないの!?」

 こころの声音が責める響きをまとう。まさらに気にした様子はない。

「双方にとって時間の無駄」

「……まさらが行ってあげないと、その手紙出した子ずっと待ってるかも」

「……こころは私に行ってほしいの?」

「え?」

 まさらの問いに、こころは一瞬答えられなかった。当然だと思う気持ちに、何かが混線していた。己自身に困惑しながらこころは言葉を返す。

「やっぱり、その子が可哀想だと思うし」

「…………」

 まさらは考えこんでいる様子だった。こころは弁当にも手を付けず返事を待つ。

「わかった。そうね、時間を無駄にさせるわけにはいかないもの」

 まさらは箸を置いて立ち上がる。

「行ってくる。先に食べてて」

「あ……うん!」

 教室を出るまさらの背中をこころは見送った。そして弁当に向き直ると、箸でミートボールをつまんで口の中に入れる。そのまましばらく咀嚼し、こころは箸を置いた。食欲が失せてしまったのだ。

(なんで、すぐに答えられなかったんだろ)

 こころは自分に問いかけた。行ってほしいとまさらに即答できなかった理由を。脳裏に浮かぶのはこれまでの思い出。まさらと一緒に見たあの景色。

(一番の友だちを取られるの、いやだったのかな。……友だちに対してこれって、私重い女だなあ)

 自己嫌悪に陥ったこころは頭をおさえた。彼女はまさらが早く帰ってくることを無意識に祈っていた。

「好きです。付き合ってください!」

 まさらの記憶にない女子生徒は勇気を振り絞って告白した。そして、まさらはその生徒を見つめながら思い出していた。今朝の夢のことを。

「…………」

 まさらはゆっくりと近づいた。こつ、こつ、こつ、と足音。女子生徒は拳を握りしめて待つ。この子は可愛いほうなのだろう、そんなことを考えながらまさらは手を伸ばし、女子生徒の頬に触れた。

「っ……!」

 女子生徒は肩を跳ねさせた。

 ふたりは手を伸ばした距離で見つめあった。その時間は長く、静かで、まるで時が止まったかのようですらあった。女子生徒の唇が震える。やがて……まさらは手を離した。

「ごめんなさい。その想いは受け取れない」


 激昂した女子生徒は何事かを言い、泣きながら去っていった。まさらにその声は届かなかった。遠くの飛行機雲が消えだした頃、彼女もまた教室に戻るために歩きだした。

「戻ったわ」

 かけられた声に、こころははっとして俯いていた顔を上げた。教室を出る前と何も変わらない様子のまさらが向かいに座っていた。

「……おかえり。……受けた?」

「なにを?」

「告白、されたんでしょ?」

「ああ、そのこと。断ったわ」

 まさらは卵焼きを口に入れながら言った。その振る舞いは本当に何も変わらない、普段通りの加賀見まさらだった。

「……そっか」

 よかった。出かかった言葉をこころは慌てて飲みこんだ。胸の不定形のつかえが消えた気がした。

「そうだよね! まさらって誰かにデレデレイチャイチャしてるイメージないもん!」

「それは……いいってこと?」

「んー、クールってこと! ほら、早く食べないと時間ないよ!」

 こころは再び箸を持った。弁当箱の中身は驚くほどスムーズになくなっていった。

 放課後。部活動に入っていない者たちの中に紛れ、こころとまさらは家への道を歩く。オレンジ色に染まる空は夜の色に侵食されつつある。

「それにしても、私も覚悟決めておかないとねー」

「なんの?」

「まさらが誰かと付きあっちゃう覚悟!」

「……なぜ? 私が誰かと付きあうのに、あなたに覚悟が必要なの?」

「んー……ほら、私たちって今でこそ朝も昼も、もちろん夜も。四六時中一緒にいますみたいな感じでしょ? でもまさらが私より大事な人ができちゃったら、もうそんな感じじゃいられないなって」

「……そうね……」

 空をカラスが横切り、まさらの顔に影を作った。こころは前を向いていた。

 こころの言葉は反対でも成立する。つまり、もしこころが誰か他の人と付きあってしまったとしたら。間違いなくまさらと共にいる時間は減るだろう。無論彼女は真面目な魔法少女であり、魔女退治となれば絶対に参加するはずだ。その時間は、まさらはこころと一緒にいることができる。

 ならば、それ以外は? 朝の教室に着いてからの時間。昼の弁当を食べる時間。放課後の通学路を歩く時間。そして休日のいろいろなところを回る時間。果たして一緒にいられるのだろうか? 自分よりも大事な相手ができたならば、そちらを優先してしまうのではないだろうか?

「こころ」

 呼び止める彼女の声は掠れていた。こころはそれに気づかず振り向く。学校からだいぶ離れたため、帰宅する生徒の姿もない。

「なに?」

 こころは楽しそうに微笑んでいた。一緒にいること、それ自体が楽しいことだというように。そのポジションは、やがて誰かに奪われるかもしれない。

 まさらは手を伸ばし、こころの頬に触れた。こころは目を細め、不思議そうにまさらを見る。無防備にさらけ出された唇。少し頭を前に動かせば届く距離。夕日が建物の陰に消えた。月は雲に隠れている。彼女たちを見るものはいない。

 ……否。ひとつだけ、いた。

「っ!」

 こころは魔法少女の速度で離れ、全方位を警戒した。おぞましきものがふたりを呑み込んだ。

「魔女の結界……!」

 絶望に抗う太陽めいた輝きと共に、こころは魔法少女姿に変身する。

「ごめん、まさら! 話は後で聞くから!」

 近づいた使い魔をトンファーでなぎ払い、こころは魔女を倒すべく奥へと進む。まさらはその後ろ姿を眺め、遅れて自身もまた魔法少女姿に変身し、後を追った。

 まさらは自室のドアを開けると、照明をつけず、制服も脱がずにベッドの上に座って寝転んだ。彼女の瞳は天井に向けられているが、焦点があっていない。

 魔女を退治し終わった後、話題はコンビネーションの上達方法になり、まさらの行動については忘れられた。それでよかった。説明を求められたところで、こころが満足しうる答えをまさらは用意できなかっただろう。まさら自身、己の行動を理解できていなかったのだから。

(気の迷い、ね……)

 まさらはそう結論づけた。気の迷いで自分はこころを奪われたくないと顔も見えない誰かに嫉妬心を抱き、あまつさえキスまでしようとしたのだと。気の迷いなど滅多に起こさないと己自身理解しておきながら。

(……もし)

 もし、あそこで魔女が出なかったとして、自分はキスをしてしまっただろうか。まさらは自分に問いかけた。答えはすぐに返ってきた。しなかっただろう、と。キスをして得られるのは、夢での感触と実際の感触との差の確認、ちっぽけなその場限りの満足感。失うのは、こころとの友情。こちらに困惑と恐怖の入り混じった表情を向けるこころが脳内で形作られる。

「っ……?」

 まさらは上体を起こし、胸に手を当てて心拍を確かめた。詳しい知識はないが正常に動いているはずだ。ならば今走った痛みはなんなのか。初めて感じる類いの痛み。

 きっと気のせいだろう。まさらは立ち上がり、ふとスマートフォンの通知ランプに気がついた。粟根こころからのメッセージ。確認する。

『外見て! すごい満月!』

 言われるままにまさらは窓から空を眺めた。微かな星たちの中心に輝く満月が浮かんでいる。まさらの心が微かな、されど確かに温かな色を持つ風にそよいだ。まさらはそれが満月が綺麗だからだと思った。同時に、そうではないようにも思った。




我こそはまさここイベが終わった後にマギレコを始めてまさここの凄さに気付いて膝をついた小さいキュゥべえ。pixiv版は↓


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