欲望解放のそのウワサ

中途半端なところで終わっているのは、この先の展開が完全に浮かばなくなってあえなく没になったからです。
しかしここまで書いたのをなかったことにするのは勿体無く感じたので、まあいいでしょ!精神で投稿しました。
みんなも落書き感覚で投稿していこうな💪

pixiv版→ https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10673712



「では、そういうことなので」

「そういうことなので、で済む話じゃないのよ」

 割れた窓から出て行こうとするみふゆの腕を掴む。みふゆは私を振り返って、ため息をつきながら頭を振った。

「いいですか? やっちゃんの困惑ももっともです。ですが、ワタシの苦しみもわかりますよね? 今回はそれで手打ちにしましょう。関係ないですけど久々に見るパジャマ姿も可愛いですね」

 物分りの悪い子供に言い聞かせるような口調のみふゆ。お母さん呼ばわりされたときと同じくらい腹が立つわ。

「残念ながら、何も手打ちにならないわ。そして、あなたをマギウスの翼には帰らせない。ここから帰らせはしない」

「情熱的ですね。でも、いいんですか?」

 みふゆは私の膝の上に乗っているものを見た。「ししょお〜!」って鳴きながら私のお腹に擦りつけてくる物体を、私は見ないようにした。

「今立てば、ウワサが出ますよ」

「望むところよ」

「ウワサが倒されて傷付くのはワタシたちではありませんよ。いいんですか?」

「そんなこと……」

「隙あり!」

 突然みふゆの全身が輝いて、一瞬の後に魔法少女服に包まれた。まずい、あの瞬間が他と比べて別段隙だったわけではないけれど、この状況はかなりまずい。応戦が間に合わない。なぜかって? 私のソウルジェムをはめた手は今、膝の上の大型犬に掴まれて頬擦りされているからよ!

「やっちゃん!」

 みふゆは私に掌を向けた。その掌が光る。……視界にみふゆの顔とお饅頭が虹色に回転する。あら、お茶が足りないわね。みふゆのために淹れてこないと。……って違うわよ、これは幻惑魔法! なんてくだらない幻覚を見せるの、お茶くらい自分で淹れなさい!

「それじゃあやっちゃん! 精々肩出したり脚出したりして風邪引かないようにしてくださいね!」

 みふゆの嘲笑うような声! 意志の力で幻覚を振り払うと、そこには既にみふゆの姿はなかった。でも床に散乱する割れたガラス片は、間違いなくみふゆが割った窓の破片。あの子あんなにおかしかったかしら? 普通に今キレそうよ。

「やちよー、どうかした?」

 膝の上の物体が心配そうに声をかけてくる。……ええ。いつまでも現実を見ないわけにはいかないわよね。私はひとつ息を吐いて、下を見た。そこにはいつも通りの鶴乃がいた。ひとつ違うのは、異質な魔力による明るいピンク色の光を瞳に湛えていること……ウワサに操られていること。

◆◆◆◆◆

「すまない、みふゆ。僕の耳が悪かったのかもしれない。もう一度言ってくれないかい?」

「やっちゃんが欲望を解放してワタシに甘えたくなって仕方がなくなるウワサを作って頂けませんか?」

「悪いのは君の頭みたいだね」

 ねむはワタシを呆れたような目で見ました。多少の自覚はあります。ですが、何もこれは私利私欲のためだけの話ではないんです。

「いいですか、考えてみてください」

「遠慮したいね」

「やっちゃんがワタシに甘えるようになります。そうすればもうワタシからは離れられません……つまり、やっちゃんという最大の脅威を無力化できるどころか、なし崩し的にマギウスの翼に加入させられるんです!」

「僕の脳まで腐らせないでくれるかな」

 ねむは自分の額をぐりぐりと押しました。ですが、これはどう考えてもマギウスの翼にとっても良い作戦です。ねむもそれがわかっているからこそ、さっさとワタシを帰らせないのでしょう。

「ひとつ聞かせてほしいんだけど。七海やちよに会いたいという私欲と、翼のためという義心は、何対何なんだい?」

「8……5:5です」

「……どっちが8?」

 黙秘権を使います。ねむはしばらく疑わしげにワタシの目を覗き込んでいましたが、やがて諦めたようにため息をつきました。

「まあ、いいよ」

「本当ですか!?」

 自分で提案しておきながら、ワタシは驚いていました。正直ダメ元で来たものですから。やってみるものです。

「七海やちよという最大の脅威の排除は願ってもないことだ。そのついでに、君が無力になった彼女に対して何をしようと、僕たちの知ったことじゃない。けど、あの身体を好きにしたいという羽根は何人もいそうだね。アリナは興味なさそうだけど」

「ワタシがさせません」

「美しい友情だね」

 ねむは心からどうでも良さそうに言って、本を開きました。

「君が寝てる間にでもウワサを作っておくよ。非常にくだらないウワサだけど、話を考えないことには作れないからね」

「感謝します、ねむ」

「僕の命を使って君の欲を満たすんだ。対価は君の命かな……むふっ」

 ねむは笑うと、それきり静かになりました。今の彼女の頭の中は、ワタシでは想像もつかないような話を色々とこねくり回しているのでしょう。ワタシは一礼して退室しました。しばらく歩いて、隠し通路から出ます。念には念を入れてもう少し歩いて、さすがにここまで来れば絶対に声は届かないはずというところまで来て、ワタシはグッとガッツポーズをしました。それだけでは身体の中を駆け巡る喜びが発散しきれず、バレエのようにくるくると回転します。

 やりました。これで明日にはやっちゃんがみかづき荘を出てワタシを探していることでしょう。ワタシはそれを迎えに行って、ワタシたちの部屋に案内します。そこから後は、もう自由です……何をしてもいいんです……ふふふふふ……! ああ、楽しみです!

「ひっ!?」

 聞こえてきた悲鳴にそちらを向くと、黒羽根の方がワタシを見て怯えた表情をしていました。ワタシはスッと踊るのをやめて、会釈をしました。黒羽根の方は会釈を返してきました。ワタシは微笑みかけて、自室へと向かいました。

 …………。

 翌朝。ワタシは目を擦りながらねむのところへ向かいます。昨日は楽しみでよく眠れませんでした。今すぐにでもやっちゃんを迎えに行きたいところですが、ねむが命を使ってワタシのためにウワサを作ってくれたんです。お礼くらいは言っておかなければ失礼になるでしょう。

 角を曲がると、向こうから歩いてくる姿がありました。ワタシは霞んだ視界の中目を凝らして、眠気が2割ほど飛びました。その姿はねむのものでした。

「ねむ! どうしたんですか!?」

 マギウスの3人はこんなところには滅多に来ません。フェントホープにいたとしても、大体は隠し部屋に篭りきりです。何か緊急事態でもあったのでしょうか? ねむはワタシを億劫そうに見上げました。彼女は普段からあまり快活な子ではありませんが、今の状態は生気を失っていると表現するのが正しいような有様です。

「みふゆかい。無理に起きたから五感の調子が良くなくてね」

「無理に……起きられるものなんですか? 死んでいたんですよね?」

「いつもなら無理だね。そのこと含めて、君に話しにきたんだ。ああ、しかし喋りにくい」

 ねむの言う通り、その口調はまさしく子供らしい舌ったらずなものでした。舌がうまく回らないのでしょう。

「話すことはふたつある。まずひとつは、今回作ったウワサは1日で消滅する」

「えぇ!?」

 1日では意味がありません。ウワサが存在する限り永久に効果が持続するからこそ、やっちゃんにこのウワサをかける効果があると言うのに。それに、今まで作られてきたウワサは魔力を失って休眠することはあれど、消えることはありませんでした。イレギュラーなケースです。

「どうしてそのようなことが……?」

「考えられる可能性としては……というよりそれくらいしか思い浮かばないけど、僕の気が乗らなかったせいでウワサの完成度が低くなってしまったからだろう。おかげで死も浅くなったけど」

「そんなことあるんですか……?」

「現に起こっているじゃないか」

 そうですけど。……しかし、1日ですか。やっちゃんに目を覚まされたときのマギウスの翼にもたらされる被害を考えると、今日の夜辺りに拘束や監禁をしておくべきなのでしょうか。鎖で手や足を縛られたやっちゃん……いいですね。

 それにしても、話すことのひとつ目がこれなんて。ふたつ目が良い報せであることを祈るばかりです。

「それで、もうひとつの話というのは……?」

「七海やちよを対象にしたウワサのはずだったけど、間違って由比鶴乃を対象にしてしまった」

「嘘でしょう……?」

 愕然としました。そんな間違い方あり得るんですか。そんなにもこのウワサを作るのに気が乗らなかったんですか。頭がクラクラとしてきて、ワタシは窓ガラスにもたれかかりました。外では今日も熱心な羽根たちがバットやグローブを手に特訓をしています。……違いますね、あれ野球ですね。特訓は? あ、ホームラン。……キャッチされてますね。魔法少女のジャンプ力です。

「ということは、今日ワタシに甘えに来るのは鶴乃さんということですね……」

 肩を落としながらねむに言います。鶴乃さん……もちろん好きですが、やっちゃんに対する好きとは違いますし……。

「ん?」

 しかし、ねむは首を傾げました。言っていることの意味がわからないとでも言うように。

「え? ワタシに甘えに来るウワサを作ったんですよね?」

「僕が作ったのは、由比鶴乃が欲望を解放するウワサだよ。君からこのウワサを作ってくれと頼まれたときは驚いたよ。七海やちよが自分に甘えたがっていると確信しているんだと。ん、矛盾があるね」

「ねむ。昨日のワタシの話、何割聞いてました?」

「3割行けば良いほうかな」

「そうでしょうね」

「それじゃあ、無駄に消費した魔力を寝て回復してくるよ。膝枕してくれるくらい灯花が機嫌良いといいんだけど」

 話すことを話して、ねむはさっさと戻って行きました。何やら衝撃的なことを言い残していった気がしますが、ワタシを襲った数々のショックに今更瑣末なことを頭に入れる余裕はありませんでした。

 鶴乃さんが欲望を解放したら何をするか。そんなのは愚問とさえ言えるでしょう。やっちゃんがすぐ傍にいる環境で、鶴乃さんが悶々としていたであろうことは想像に難くありません。やっちゃんはにぶちんさんですから、露骨に鶴乃さんの様子がおかしくなっても、何を求めているのかきっと理解できないでしょう。仕方ありません。鶴乃さんはいい子ですし、1日くらいなら花を持たせてあげましょう。

◆◆◆◆◆

 以上が、鶴乃がやたら甘えてくるようになって困っていたところに、窓を割ってダイナミックエントリーしてきたみふゆの説明だった。何も理解できなかったし、したくもなかった。唯一タメになった情報といえば羽根たちが特訓をサボって野球をしていたらしいことだけど、やっぱりどうでもいいわ。窓の修繕費、請求先にマギウスの翼を指定したら払ってくれるのかしら。

 現実逃避のように目を逸らすと、いろはの部屋のドア陰からこちらを覗き込む4つの瞳と視線がぶつかった。いろはと、二葉さん。

「……お、終わりました?」

 いろはが怯えたように震える声で尋ねてくる。

「大丈夫よ。窓は割れたけど」

 いらない不安を与えないように、私は笑顔を作った。こんな状況じゃ苦笑しか作れてないでしょうけど。いろはたちはおずおずと階段を降りてくる。その視線は私の顔と、膝の上の物体を行ったり来たりしている。まあ、気になるわよね。

「……やちよさん!」

 二葉さんがキッと私を凝視してきた。二葉さんからは向けられたことのない表情に、無意識に腰が伸びる。

「やちよさんは、鶴乃さんに応えないといけないと思います……!」

「……うん?」

 言葉の意味がわからず首を傾げる。いろはも隣で二葉さんを見て瞬きをしている。

「私にはわかるんです……鶴乃さんは、その笑顔の奥にやちよさんに甘えたいって気持ちをずっと隠してきたって……!」

 あまり隠せていなかった気がするけれど。割といつも感じてたわよ。

「鶴乃さんの気持ちに応えてあげないと、鶴乃さんが可哀想です……!」

 二葉さんが詰め寄ってくる。どうしたの、どうして鶴乃にこんなに感情移入してるの。いろはに助けを求める視線を送ると、いろはは目を彷徨わせた。

「ま、まあ……さなちゃんの言うことも、一理あるのかも? なんて」

 えっ、いろははそっち側につくの。二葉さんが凄く嬉しそうな顔でいろはのほうを向く。

「やちよさんって、素直じゃないからいつも鶴乃ちゃんのこと邪険に扱ってますし」

 いろは、違うわよ。鶴乃は純粋に暑苦しいしうるさいのよ。あなたはいい子だから、私をプラスの色眼鏡で見ているのかもしれないけれど。

「ウワサも1日でいなくなっちゃうんですよね? それなら、たまには素直に甘やかしてあげてもいいんじゃないですか?」

 素直にと言うけど、普段から素直な態度を取ってるわよ。なんだか、普通にウワサを倒して解決するという道をやんわりと封鎖された気がする。

 ため息を吐いて膝の上を見る。鶴乃は私と目が合うと、嬉しそうにはにかんだ。潜んでいた胸の奥の罪悪感が直接炭酸水をかけられたみたいに刺激される。……確かに、鶴乃なら適当に扱っても大丈夫って甘えすぎていたかもしれない。反省しないとね。欲望を解放されているだけっていうことは、この状態が鶴乃の普段抑えつけていた欲望っていうことでしょうし。

「わかったわよ。無理にウワサを倒そうものなら、明日からあなたたちにDV振るわれそうだし……」

「しませんよ、そんなこと」

「…………」

 二葉さんは何も言わずに、ただ私を見つめていた。……本当に振ってたかも、なんて考えてないわよね? ね?

「とは言っても、どうすればいいのかしら……」

「うーん……遊園地に行くとか」

「遊園地!」

 鶴乃はガバッと顔を上げた。確かに昔、みんなで遊園地に行ったときの鶴乃は本当に楽しそうだった。いいかもしれない。そう思ったけれど、鶴乃は早回しされた植物みたいに見る間に萎れていった。

「やちよ、人気だからみんなに注目されちゃう……」

「そんな有名人じゃないわよ……」

 テレビに出る芸能人じゃないんだから。いろはがしゃがんで鶴乃と目線を合わせる。

「やちよさんが注目されるのは嫌なの?」

「注目されるのはいいけど、やちよがわたしを見てくれなきゃやだ……」

 彼女なの? 二葉さんはなぜか神妙に頷いてるけど。気持ちわかるの?

「でも、そうなると今日はお買い物とか行けませんね……」

「別にカミハマスーパーに行ったからって注目されることなんて……」

「やだー!」

 鶴乃が私のお腹を締め付けてくる。いつもよりだいぶ力が強い。しかも周囲の空気が濁ってきた気がする。最近よく感じるようになった、魔女とは違う呪いのような魔力。……まさか、ウワサに反すること、つまり鶴乃の欲望に反することをしようとしたから、本体が現れようとしてる? ここで? みかづき荘の中で!? 窓が割れるだけじゃ済まないわよ!

「わかった、わかったから! 今日は1日あなたを甘やかす。他の誰も見ない。これでいいでしょ!」

 鶴乃は腕の力を緩めたけれど、まだ信用していないみたいに目を細めている。

「ほんとに?」

「本当よ。嘘なんてつかないわよ」

 家が壊れるしね。

 鶴乃は考えるように私を見上げていた。少しして、機嫌を直して私のお腹に顔を埋めてくる。周囲の空気も外から吹き込む風のおかげで痛いくらいに澄んでいて、ひとまず危機は去ったようだった。

「やちよさん、お買い物とか魔女退治は私たちでしますから」

 いろはが私を安心させるように言った。いろは……あなたは本当にいい子ね……。

「鶴乃さん……今日は、思う存分やちよさんに甘えてくださいね……!」

「うん! ありがとね、さなちゃん!」

 二葉さんと鶴乃はお互いに頷きあっていた。なんだか今日の二葉さんはやけに気合が入ってるわね。甘えたい相手でもいるのかしら。

「それじゃあ……とりあえず、どうする?」

 問いかけると、鶴乃は考える素振りを見せた。ほぼ同時に、2階のほうから「めし〜……」というか細い声が聞こえてきた。見やればねぼすけ傭兵の目を擦る姿。

「朝ごはんにしましょうか」

「そうね」

 私は反射的に立ち上がろうとした。けれど、両肩を押さえられたことでそれはできなかった。私の両肩に手を置いたのは二葉さん。

「やちよさんは、鶴乃さんと一緒に、待っててください」

 凄い威圧感だった。二葉さんにこんな風に見下されることなんてあんまりない。腕の力も強い。私が呆気に取られて座り直すと、二葉さんは満足したように微笑んで、台所に向かういろはの背中に付いていった。

「おはよ〜……」

 ねぼすけがタオルを手に1階に降りてきて、洗面所の方角に歩いていく。「おはよー!」という鶴乃に続いて「おはよう」と言うと、フェリシアはこっちを一瞥して、眠そうなままさっさと洗面所に消えていった。

「ん!?」

 と思ったら洗面所から顔を出して、目をぱっちりと開いて私たちを凝視してくる。嫌な予感。

「つ、鶴乃が壊れてんぞ!」

「ちょっと」

 なんだかそれ私にも失礼じゃない? 鶴乃は気にした様子もなく私の指をなぞっている。少しくすぐったい。

「やちよ、鶴乃に何したんだよ! あれ、違う、いつもは鶴乃がひっつくのをやちよが突っ撥ねてるから、鶴乃が何かしたのか? え、なんだ!? わかんねーぞ!」

 難しいことを考えすぎて思考回路がオーバーヒートしたみたいだった。私はしっしと手を振る。

「いいから、さっさと顔洗って歯を磨いてきなさい」

「ん、んんんんん!?」

 フェリシアは首を捻りながら、今度こそ洗面所へと消えて行った。

「既にみんなの注目の的よ」

「みんなは別にいーよ」

 鶴乃は目を閉じながら言った。これから朝ご飯だっていうのにこのまま寝られちゃたまらない。ぺちぺちと頬を叩くと、低く呻きながらもどことなく嬉しそうだった。

「あ、でも……」

 鶴乃は顔をしかめた。例外でもあるのかしら。それを問いただす前に、台所から美味しそうなお味噌汁の匂いが漂ってきて、私の意識はそっちに持っていかれてしまった。

 暫くして朝ご飯がテーブル上に揃って、フェリシアが戻ってくる。みんなでいただきます……を、したいところなんだけど。大型犬が膝の上から退こうとしない。

「朝ご飯食べないつもり?」

 尋ねれば大型犬はいやいやと首を振った。

「それじゃ食べられないでしょ」

 言いながら、私は周囲の空気に気を払う。鶴乃にとってのセーフかアウトかは、ウワサの魔力でわかる。鶴乃は不満そう……だけど、魔力は感じられない。操られていても朝ご飯は食べたいみたい。鶴乃は起き上がって、私の隣にぴったりくっついて座った。そして、こちらに向けて口を大きく開けた。

「食べさせて!」

 め、面倒くさい……!

 …………。

 みんなの2倍近い時間をかけて、私と鶴乃は朝ご飯を食べ終わった。いろはの気を遣うような表情と、フェリシアのドン引きしたような表情がまた心に追い打ちをかけた。二葉さんは楽しそうだった。

 その後、いろはたちに洗い物を頼んだり、すぐウワサを出そうとする鶴乃を宥めたり、みふゆに言われて来たという黒羽根に窓を直してもらったりしていたら、時刻は11時。二の腕を唇で食んでくる鶴乃の頬をつまんでいたら、来客を知らせるチャイムが鳴った。「はーい!」と返事をしていろはが玄関に向かう。

「おっす、いろはちゃん!」

 聞こえてきたのはももこの声だった。そういえば今日はももこたちとの定例会議の日だった。会議と言っても一緒にお昼を食べたりするだけだけど、一時期自業自得とはいえ距離の開いていたももこたちと交流できるのは嬉しい。

 先程までの態度と一転、鶴乃は身体を強張らせて、私の二の腕をぎゅっと抱いて玄関の方角を向いた。どうしたのかしら。別にももこと仲が悪かったわけでもなかったはずだけど。もしかして、さっきの「でも」ってももこに対してのものだったの?

「よー! やちよ、さ……ん?」

 ももこが私に向かって手を上げかけて、鶴乃を凝視して固まった。まあそうなるわよね、とももこの石化が解けるのを待つ。「ちょっと、そんなところで止まらないでよ」「何かあったの?」と、レナとかえでの声がその背中側から聞こえてくる。

 暫くして、ももこは重苦しく頷いた。そして、ソウルジェムを翳して変身した。

「わかった! ミラーズのコピーだな! 結界からも出られるようになったなんて……!」

 鎌のように湾曲した大剣の切っ先を鶴乃に突きつける。さすがね、ももこ。推論が間違っていたとしても、その危険を察知して疑う力は魔法少女チームのリーダーとして大切よ。……なんて感心してる場合じゃないわね。鶴乃も威嚇しないで。唸らないで。

「ももこ、違うわ。この鶴乃は本物よ。ウワサに操られてるだけ」

「また!? というかそれも大問題だろ!」

 随分な常識人。さすがももこ。

 みふゆから聞かされた話をももこたちに伝える。話し始めて10秒くらいで、既にみんな呆れた顔になっていた。みふゆ、あなたかつての仲間に10秒で呆れられてるわよ。

「あー……とにかく、鶴乃は別に何ともないってことでいいんだな? みふゆさんの言うことを信用するなら、だけど」

「その通りよ。みふゆは……まあ……嘘をつくならもっとマシな嘘をつくでしょう」

「それにしては、嫌われてる感じが凄いよね……」

 威嚇する鶴乃を眺めながらかえでが呟いた。レナがそれに追従する。

「やちよさんのペット同士、相容れないところがあるんじゃない?」

「ちっ、違う! アタシは犬じゃない!」

「そこまで言ってないけど……」

 ももこの過剰な否定に、レナが引いた様子を見せた。

「……もしかして、自覚あったの?」

 ……かえで、あなたは色んな子に対してトドメを刺すのが得意よね。いくら墓穴を掘った自分が悪いとはいえ、ももこが沸騰しちゃったわよ。

「ペット同士、嫌いなの?」

 唸り続けている鶴乃に尋ねてみる。「アタシは犬じゃ……」というふにゃふにゃな声は無視する。

「嫌いじゃないけど……ももこもやちよの膝狙ってるもん」

「狙ってない!」

「昔やちよに褒められると1日幸せ、撫でられたらしばらく幸せって言ってたじゃん!」

「おまっ……それっ……秘密って……!」

 ももこが口をパクパクさせる。あなたたち、そんな男子高校生みたいなことを話してたのね。それにしても。

「私に褒められると幸せなの?」

「えっ……あっ……や……!」

 尋ねてみると、ももこの挙動不審さが限界を越えた感じがあった。そんな様子を見ていると、少し試してみたいことが頭に浮かぶ。立ち上がれないので手招きをする。ももこは油の切れたロボットのような不自然な動きで歩いてくる。鶴乃、唸り声大きくしないで。

 充分近付いたところで、手振りで屈むように伝える。素直に屈んだのを見届けてから、私はももこの頭に手を置いた。

「私がダメになってる間、レナとかえでを……二人だけじゃない。神浜に来た子たちを、よく守ってくれたわ。ありがとう」

 そのまま手を動かして頭を撫でる。改めてお礼を言うのはちょっと恥ずかしかったけれど、こんな機会でもないといろは曰く“素直じゃない”私はお礼なんて言えないからね。ももこはぽかんとした表情で私を見上げていた。……もしかして、こういうのじゃなかった? 私滑った? 不安になりながらも、頭を撫でる手の動きは継続する。

「……う」

 やがて、ももこの瞳が潤み始めた。数秒後、ボロボロと雫がこぼれ始める。いけない、泣かせるつもりじゃなかったのに……!

「もも――」「やぢよざああああん!」「うぐっ!?」

 慌てた私のお腹に、普段の大型犬のような勢いでももこがダイブしてきた。

「あだし、あだじ、うわああああん!」

 大号泣だった。服が生暖かく湿っていく。……どうしましょう、この空気。みんなも次に取るべき行動を決めかねている感じがする。そういえば、唸り声が聞こえなくなってる。鶴乃を見ると、不満と同情の入り混じった複雑な表情が目に入る。

「いいの?」

 尋ねてみる。鶴乃は腕を締め付ける力を強くして、私の首筋に顔を埋めてくる。少しくすぐったい。

「もっと甘やかしてくれるなら、いい」

 これ以上甘やかすとなると、何をすればいいのかしらね。私は腕が痺れてきたのを感じながら、もう片方の腕でももこの頭を撫でた。この子が泣き止んだのは、締め付けられた腕の感覚が完全になくなった頃だった。

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