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褒めてもらいたくて生きてる?

昨年、御岳山に籠って自分の棚卸しをしました。

かなり行き詰まっていて、整理しない限り、次に進めない気がしていたのです。


これまでの人生
これまでの私
生き方
選んで来た道
関わった人達

そして、その時々に
私は何を
どう感じとったのかを

思いつく限り全部を
書き殴っていきました。

私って何?何?
どういう人間なのか。

あるようでないような実体を
捕まえられるようで捕まえられない
そんなうやむやの中を
行ったり来たり

が、事実だけを並べていくと、
そしてその時の気持ちを探ると
あぶり出しのように
ハッキリと一つのことが現れました。


「私は、母に褒めて貰いたい」


何と幼稚な
子供っぽい
恥ずかしいくらい

でも確かに腹の底で
それを期待している自分がいました。

母に認められたい。
母を驚かせたい。
喜んでもらいたい。

私の奥の奥にいる
小さな女の子が
そう言ってます。


***


私と母の関係は、
かなりキツく強いものだったと思います。

母は、DVの実父から私(2歳か3歳)を守るため逃げ回りました。

2人で転々としたことを私はしっかり覚えています。

実父と母に両手を引っ張られた記憶も残っています。

母が働く姿
その背中を間近で見てきました。

喜びも悲しみも辛さも不安も怒りも
すべてごった煮の母を
幼い目を通して見てきました。

「道の端を通るんじゃない。真ん中を歩きなさい。」

「下を向かない。顔をあげてなさい。」

母は、自分に言ってたんだと思う。

私はキツく育てられ、母に認められたいばかりに勉強し、いい子をやっていました。


***


まさかこの年齢になってもまだそう思ってたなんて、、、

誰かに認めてもらいたい

は、きっと私だけではないと思います。

でも、でも、
自分で自分を認めてあげる方が
早いし、お手軽だし、
効率的です。(笑)

褒めて褒めて!と言ってた私とは訣別。

霧が晴れ、気が楽になりました。

人の称賛や価値観に
自分をゆだねるのは
キツイです。

外ではなく、内。

当たり前のことですが、自分を幸せにするのは、自分。

それをハッキリ自覚でき、母からやっと解放されました。

最近は寝る前に
今日もよくやったね、
楽しかったね、
と褒めます。

これからも、もっともっと
自分を膨らませていこうと思っています。

(^^)



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