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身体に不自由を抱えること

道路に立つ物乞い

今日、友人のFBでの投稿をきっかけに思ったことを書いてみる。
それは、駅の通路で物乞いを見たことに端を発した日本の先行きの話。
子供の頃も見たのだけど…という話を読んで真っ先に思い出したのは、
やはり私も繁華街で物乞いを見ていたこと。
片脚が膝下から無く、松葉杖で道路に立ち、「私は戦争で片脚を失くして
働けません」というプラカードを持ってお恵みを受けようとしていた。
私は単純な子だったので、本当に可哀そうな人なのだと思っていた。
一人で歩いている時に10円くらい入れたことがあったように思う。
ある時父と歩いていいる時にそのような人を見たら父は異様に嫌悪していた。
働く努力をせずに楽しようとしていると。

父の姿

私は物心つく頃から見慣れていたので何とも思ったことがなかったが、
父は右脚がほとんど無かった。さらに右耳も無く、右腰に一生治らない
傷を負っていた。そんな父は義足を着け、普通に働き軽いスポーツまでした。
義足といっても現在の進化したようなものではなく、単純な機能のものだ。
子供の頃はわからなかったが、今思うと父は努力の人だったのだなと思う。
なぜ片脚が無いのか父に聞いたことはあるが、ついに明かさないまま旅立ってしまった。
葬儀の時に叔父に聞いてみたが、兄貴が言わなかったのならと明かして
くれなかった。漏れ聞くところによると、20歳位の時に事故で失くしたらしい。
私はずっと戦争で失くしたと思っていた。父は戦争当時軍隊に行く年齢ではなかったが、戦争を経験はしていたから。

物乞いに思うこと

私も大人になって色々知ると、戦争を理由にした障害手当詐欺や、片脚を膝から折りたたんで縛って身障者を装う詐欺があることを知った。
私が幼い頃見た人がどのような人だったのかは知りようがない。
しかし父の嫌悪とは別に、物乞いに立つことが出来るなら、死にもの狂いで
生活費を得ることは出来るように思う。

これから日本はどんどん貧しくなると言われている。例え物乞いする人が溢れても、施し出来る人は減る一方だ。今や政治も経済もガタガタで、アジア各国に抜かれていつの間にか後進国になっている。
ただ私は日本はお先真っ暗とは思っていない。今までのやり方を根本的に覆して、新しい日本を作り出してくれる人が必ず若い人たちの中から出てくると信じている。ガーシー氏の当選も話題性ばかりではなく、そうした期待が集まったからだと思っている(ガーシー氏は若くはないけどw)。

普段父に片脚が無かったことは全く意識しないのだが、友人の投稿から父のこと、昔話や日本の将来について考えさせられた話だった。


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