文化人類学と野口整体

整体を学んだ一番の収穫は、現代人にとって「日常が病」である、という事実を理解したことでした。

人の身体の壊し方には、大別して、二種類あります。
エネルギーの使いすぎ(虚証)か、エネルギーの余りすぎ(実証)です。

前者は誰でも分かりますよね。
仕事しすぎたとか、女の子と仲良くしすぎたとか。
程度にもよりますが、これで身体を壊したときというのは、とにかく同じくらいの時間をかけて、ゆっくり休めばいい。

少し意外なのは、エネルギーが余りすぎ、集まりすぎの方です。
これに気づくのが、整体を知らない一般の人には、かなり難しい。エネルギーはあればあるほどいいという、現代人特有のアメリカンな思い込みがあるからです。

さて、現代人の疲れ方には、上述した二種類の中間に位置することに、きわめて明確な特徴があります。
これを「偏り疲労」といいます。
疲労に大きなムラがある状態です。

例えばオフィスワーカーなら、目だけ使いすぎているのに、足腰はまったく使っていない。
あるいは、消化期はやたら疲れていて食べ過ぎなのに、他の部分はなんともない。
こういった人がとてつもなく多いのが、現代人の疲労の特徴です。

偏り疲労の怖いところは、自覚症状に乏しい点です。
部分的な疲労であるがゆえに、「ここを休めた方がいい」という感覚が、とても鈍くなる。ご本人が身体のレッドシグナルに気づくのが、ものすごく遅くなるわけです。


整体操法は、こういった偏り疲労に特化した施術を行います。
身体の局所的な臓器をブーストするためのスイッチである「ツボ」を手技によって押すことで、機能低下は解消される。あるいは過剰昂進部位に愉気をすることで、エンジンの回転数を低くさせる効果がある。
つまり、アンバランスな状態を、カウンターバランスする。
もっとキャッチャーな表現を使えば、それは「失われた自分らしさ」を取り戻すための、唯一の方法です。

メディアが軽々しく吹聴する、”自分らしさ”という、なんだかうさんくさい商売用語。
しかし野口整体には、この”自分らしい”状態に対する、きわめて明確な、物理的基準がある。
それは「背骨がきちんとしていること」です。

偏り疲労の持ち主の背骨には、特定の異常が発現するようになります。
胸椎や腰椎の一部が突出する「過敏状態」。
それがさらに重症化し、背骨がへこんだ「弛緩状態」。

過敏状態は先述した「実証」。
弛緩状態は「虚証」。
それぞれに対応します。
エネルギーの集まりすぎと、エネルギーの抜けた状態、というわけです。

実証が目立つと、体癖として「奇数体癖」。
虚証が目立つと、体癖として「偶数体癖」。
このように振り分けられます。


頭脳型(上下型)を中心に解説してみましょう。
たとえば大脳にエネルギーが集まりすぎた1種体癖では、行動パターンの中心が、”情報の過剰出力”となります。マスコミや出版社、IT系エンジニアや大学教授、作家や思想家や哲学者みたいな感じですね。

ここから頭の使いすぎで、力が抜けてくる。
するとそれは、1種の陰である2種体癖になります。行動パターンの中心は”情報の過剰入力”。
芥川龍之介や夏目漱石、あるいは碇シンジくんのように、胃腸や睡眠にダメージがきてしまうタイプの頭の疲れ方をする人です。私もこの体癖が強く出る時があります。

1種体癖では、首の後ろがわ。
2種体癖では、首の側面(胸鎖乳突筋)。
それぞれが硬くなりやすくなります。
また、両者ともに目や腕に疲労が溜まりやすい。
というのも、目や腕とは”露出した脳みそ”と野口整体では捉えるから。
体癖にとっての急所ということです。

この体癖の人が、現代人の象徴ともいえるPCやスマホにはまると、結構危ない。というのも、情報に対する感度が人一倍高いので、依存症になりやすいのです。

対策としては、目を休めることと、頭を休めること。これにつきます。


さて、こういった気の考え方・整体の発想は、実は文化人類学と、きわめて関係が深いのです。
みなさまは「ポトラッチ」という文化人類学用語をご存じでしょうか。
これはアメリカやカナダの先住民族にみられる、「極端な贈与行為」のことを指します。お祭りや結婚式の日に客をもてなす際、ホストがゲストに対して過剰なまでに金品や資産を贈与したり、あるいは目の前で焼き捨ててみせる。そうすることがなぜか先住民族の間で一時期、加熱した時期がありました。

このポトラッチに注目した人々がいます。
文化人類学者のマルセル・モースや、思想家のバタイユです。彼らはこんなことを考えました。
「なぜそのような不合理なことを、現代人の原型である先住民族たちはするのか?」

蕩尽とは、エネルギーなり資源なりを使いきろうとする、非合理な衝動のことを指します。
ポトラッチを発見した自称”合理主義者”たちである西洋人にとって、この発見は、長らく人間の本質に迫る難題でした。

ですが、整体の考え方を学んだ読者諸賢なら、もうおわかりでしょう。
答えはそう。
「蕩尽しないと、心や身体がおかしくなるから」です。

エネルギーが余りすぎの状態は、先ほど書いたように「実証」なのです。背骨が突出している状態。これも虚証と同じく、内的環境の不調和をもたらします(ただし壊してからの治り方は、もちろん実証の方が圧倒的に早い。なにせエネルギーが余っているので)。

背骨以外にも、人間の若い人なら、二の腕が硬くなる。
ここは欲求不満の調整点です。性エネルギーがうまく流れていない状態です。春先に硬くなりやすいことが多い。エネルギーが鬱滞しているので、本人は逆説的に、死にたくなるほどしんどいです(事実、自殺者は春先がもっとも多くなる)。

文化人類学的な乱交騒ぎ(オルギー)も、結構ここら辺に根っこがあると思いませんか。停滞した気の流れを打破するために、いわば”社会のツボ”を強制的に、ポチッと押すわけです。オリンピックもこれにものすごく近い。
とにかくなんでもいいから、身体をめちゃくちゃ本能の思うがままに動かすこと。

それは整体でいうところの活元運動であり、スーフィズムにとって旋回舞踏であり、ロックフェスにおけるダイブであり、シャーマンによって引き起こされる神懸かりの状態です。
つまり人間が狂うのは、「人間が合理的であることによって端を発する”合理的狂気”から、逆説的に身を守るため」なのです。

気には必ず、流れがあります。
その流れがよどんだり、停滞したときこそが、われわれに病気やケガや不調をもたらす。
整体ではこう考えます。

ということは、人がなぜ労働や性行為をするのかは、これでもう説明がつきますね。
それはもちろん、「エネルギーが余りすぎると、身体に悪いから」なのです。

ですが残念ながら、現代人の労働は、そこまで気の流れという意味で最適化されていません。
むしろ分業が進めば進むほど、運動パターンや疲労は偏りにかたよって、人間にとって気が十全に流れない、不幸な状態を招きます。
それは「労働行為が不幸になるためにあらかじめ構造化されている」、といってもいい。

ふつうに生きていると、ふつうに不幸になるのが現代人です。残念ながら。ものすごい結論に達してしまいましたね。ですがご安心ください。

もしもあなたが幸せになりたいなら、ぜひ、整体を学んでみてください。

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