全く泳げなかったはずのぼくが、トライアスロンに挑んだ話

「大丈夫ですかぁーー!!」

泳いでいるとき、何度そう声をかけられたことだろう。覚えていない。
大丈夫ですか、だと?
全く大丈夫ではなかった。

ぼくは人生初となるトライアスロンの大会に出ていた。

トライアスロンとは、水泳・自転車・長距離走の3種目を、この順番で連続して行う耐久競技である。ぼくが参加したレースは水泳1.5km、自転車40km、長距離走10kmというオリンピック種目のトライアスロンと同じ距離のレースだ。

レースの2年前、ぼくはカナヅチだった。泳げなかった。完走を目指すぼくにとって、水泳は鬼門だった。

水泳は、一般的にクロールで泳ぐ。休憩または前方確認のために、一時的に平泳ぎをする人もいるだろう。

そんな中、ぼくは背泳ぎをしていた。
いや、違う。

”仰向けになって浮いていた”、という表現のほうが正しい。

大会出場者は1000人いた。全員がクロールしているなか、一人仰向けになって浮いているわけである。さぞかし異常な光景であったに違いない。ライフガードの人が声をかけるのも無理ない。

出場選手1000人のなかでも、ぼくが最も多くの「大丈夫ですかぁーー!!」の声を獲得した選手であることは間違いないと思う。

走ることも嫌いだった。5km以上走った記憶はない。

カナヅチで、走ることが嫌いなぼくがなぜトライアスロンの大会に出たのか。そんな話をしたいと思う。



小学校の頃、夏の水泳大会は苦痛だった。水泳大会では、クラス全員が見ているなか、ビート板を持ってバタ足する部門に出ていた。水泳の授業が始まる夏はきらいだった。

「趣味は走ることです。マラソンレースに毎年出場しています」そういう人に会うたびに、何が楽しいのだろう。といつも思っていた。全く興味がなかった。

日本の高校を卒業後アメリカの大学に進学した。筋トレにハマった。でかいヤツがえらい、というアメリカ文化にどっぷり浸かっていた。

Skinny Asian (痩せっぽちのアジア人)とバカにされないためにも、身体をデカくしようと鍛えていた。マラソン選手のような細い身体は、ぼくのありたい姿とは対極の存在だった。

大学時代から一気に2020年まで時を進める。
2020年4月緊急事態宣言が出た。在宅勤務が始まった。全く歩かなくなった。このままじゃまずいと思いながらも、何もアクションは起こさなかった。

同年夏、子供が、通っているスイミングスクールのチラシを持って帰ってきた。大人の水泳教室の案内だった。ふとひらめいた。

「そうだ。水泳を習おう」

コロナ禍のストレスで思考回路がおかしくなっていたのか、刺激がない田舎生活に飽きていたためなのかわからない。何か新しいことがしたい、と思っていた。

10月、子供が通っているスイミングスクールに通い始めた。もちろん初心者クラスだ。クラスメイトは引退したと思われるご年配の方々が大半だった。

最初はとにかく苦しかった。たくさん水を飲んだ。鼻が痛かった。
「では次、25mを8本いきましょう!」と言われ、6本目を泳いだあと帰った。水泳って何なんだ、と思っていた。

継続は力なり、とはよく言ったもので、半年経つとクロールはなんとか泳げるようになった。


2021年夏。
コロナになった。

高熱は1週間ほどで収まった。しかし、その後も身体がとにかくだるかった。朝が辛い。動けない。このままだと社会復帰できないのでは、という恐怖感がすごかった。

朝起きたら、どんなにだるくても、絶対に外に出て歩こう。できることなら走ろうと決めた。

朝走る、という人生で一度もしたことを続けているうちに、少しづつ走れるようになった。夜も走るようになった。

「あれ? もしかして、トライアスロンに出れるんじゃないか?」

ふと思った。

その時点では、10km走ったことも、1.5km泳いだこともなかった。
とりあえずレースに申し込んでしまおう、と決めた。
目標は完走すること。

絶対的な練習量は足りないが、1年間コツコツとスイムとランニングを続けた。

レース当日になった。
天気予報は雨だったが、雲一つない秋晴れだった。
レース前日に泊まったホテルの人も、富士山は2週間ぶりに見るよ、と言っていた。朝からいい予感がした。

水泳は河口湖に設置された1周750メートルのコースを2周する。
年齢別にグループが分けられ、若いグループから順番にスタートする。

1周目は苦しかった。レースの緊張、慣れないウェットスーツ、後ろから足をつかまれる、前の人に蹴られる、波で呼吸がしにくい、など原因はたくさんある。

苦しくなると、仰向けになった。

「大丈夫ですかぁーー!!」

何度も心配されながらも何とか1周目が終わった。

ものすごい安堵感だった。あと750mで鬼門のスイムが終わる。そう思って始まった2周目、少し落ち着いた。ただひたすら腕を回した。もう仰向けにはならなかった。

無事スイムが終わった。

次は自転車だ。自転車の置き場所は年齢別に分かれている。ぼくの自転車の周りはガラガラだった。ぼくと同じタイミングでスタートを切った人は、とっくの前に水泳を終えていた。

着替えが終わり、そのまま自転車を押しながらトイレに向かった。泳いでいる間に湖の中で用を足せばよかったのだろうが、そんな余裕はなかった。

水泳、自転車、長距離走のなかでは、自転車が断トツで好きだ。河口湖を抜け、西湖を3周する40km。対向車線の車を気にすることなく走ることができるので、安心して走れる。自転車は気持ちよく走れた。

あとはランニング10kmだけだ。
足は重かったが、1つだけルールを決めた。絶対に歩かないこと。

ゴールした。最後まで走りきった。

腕を回せば、水泳は前に進む。
自転車は、漕げば前に進む。
ランニングは、足を一歩前に出せば、前に進む。
レースが進むにつれて、そんなことに気付いている自分がいた。

「大丈夫ですかぁーー!!」
と声をかけてくれたライフガードの方々(おそらくほぼ全員)にお礼を言いたい。

仰向けだったぼくは、無事完走することができました、と。

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