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「運」に振り回されて

スピリチュアルとリアルのあいだ 7

『今見えている現実を創っているのは私自身。未来は過去に関係なく今から創ることができる』

スピな世界観に触れ始めて、「思うような現実を創れていない自分は波に乗れてない」と思うことが増えた。

期間としては短いけれど、そういう思考にドハマリしたことは一度や二度ではない。どこまでも自分責めが激しい。

凹んでグルグルしていると、グルグル落ちていくだけ。それはわかっていても、そういう時ほど周りの人の『ついてる話』が目に入ってくる。いや、むしろ見に行っているのか? と言わんばかり。ドMにもほどがある(笑)


そこから脱する術はいろいろあるけれど、それをここで述べることにも意味はないように思う。何が合うかは人によって違うのだから。

ただ、どんな方法にも共通していること。それは、

自分に目を向けること

グルグルする時、だいたい外に目を向けている。まわりの人のこと、今日の出来事、自分が起こしているとはいえその現実さえも、『“私”の外の話』なんだ。

過去でも今でも未来でもない、どこの時間軸でもなく『ここにある”私”』に目を向ける

あれがないこれがない、何が誰がいい悪い、思うようにいくいかない、あーなったらこーなったらどうしよう……etc.

そういう外の話を取っ払ったら何が残るだろうか?


グルグルしていても、意外とここにある”私”は平和で安心安全だ。(今すぐ対処しなければならない状況だったら、グルグルしている暇さえないのだから)

気持ちを味わうことも、味わいたくなったらすればいい。

楽しいことを考える? したくなったらすればいい。

運のいい悪い。解釈次第でどうにも変わる、その解釈さえも『外の話』なんだとしたら?

グルグルしている時はたいてい良いことは思いつかない。

といった話や、誰かが言ってた方法、知識、頭の中に湧くすべてを無視して目の前のことに集中。夕飯でも作ろうか。いや、もういっそ寝てしまおう。(というこれさえも、誰かにどこかで聞いた話だけど)

そしてふと気付く。なんだかんだとそんな風に凹んでいられる時間と余裕があるんだなぁ、今の私には。


結局どうあっても『ここにある私』は幸せなのだと思うのです。


※2021年4月追記※

スピなお人たちとの出会いから、この時代を生きる自分の変化を書き留めておこうと始めた『スピリチュアルとリアルのあいだ』シリーズでしたが、ここで止まってしまい。今はもう、ここから先の展開が思い出せないので(^^;いったんこれで終了します。

今振り返ってみても、2018年からは私にとっても大きな変化の年月でした。(今も変化は継続中) あの頃より、意識も知識も現実の受け取り方も創造するものもだいぶ変わった分、右往左往していた頃の記事が懐かしい。

自分で見直してておもしろかったので、下書きにあったものを少し修正して再アップしました。備忘録的記事ですが、目にとめてくださった方に何かしら面白がっていただけるものであったら嬉しいです。

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