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それでも言葉にする


こんにちは。

如何お過ごしでしょうか。


更新しないまましばらく時間が経ってしまいました。


書いてなかったわけではなくて、下書きには先週からの気持ちが溜まっている。


人に見せるような言葉にならなくて、嫌になって書くのを辞めてしまったものが増えてます。

見られる言葉だと思うと、どうしても素直さを削ってしまう。当たり前のことか。


パーソナルな話は自己完結すればいいはずなので。



それでも書きたくなるのは何故かしら。

書くことは思考の整理にもなりますよね。

思いに秩序を与えて、言葉という住所に当てはめる。


時にそれは残酷でもどかしい。
生の感情の原型が見えなくなりそうになる。



それでも言葉は私たちが渡り合うための道具の一つで、かけがえのないもので、時にそれは、言葉以上のものになる。


そう信じたいから、書くことや書かれたものを好きになるんだと思います。



ところで、随分春らしい天気になってきましたね。
暖かい。


約一週間ぶりの早朝出勤。

闇夜が留まる冬の朝、寒さに震えながら電車で縮こまっていた先週。


ここ最近は暗闇に覆われていたはずの電車から西の空がどんどん明るくなる様が見える。

時間が流れる美しさ、季節が巡る美しさに感動することって随分長いこと忘れていた気がします。



日が長くなっていることひとつとっても、時間を重ねられていることへの尊さを感じられるのは、ある程度懸命に生きられている証拠なのかと思ったり。



先程もお話ししたように、日々の出来事などを綴ることに葛藤があり、あまり筆が進まないのが現状です。

それでもいま、私を支えてくれるものがあるので、そのことを少し書きます。


先日、カネコアヤノさんのライブへ行きました。


1月に出たアルバム「タオルケットは穏やかな」のツアーだったのですが、それはもう、素晴らしい時間を過ごすことができました。



今回のアルバムの曲は、語りかけているのに非常に内省的で、詩的なものが多く。


まるで日記のように、彼女の気持ちが彼女の言葉で表された歌たちが詰まっていました。


なんというか…ライブの間、まるで夜寝る前の一人ひとりの孤独な葛藤が、たくさん集まってひとつになって、あたたかく包まれているような気持ちでした。


「カウボーイ」や「天使とスーパーカー」など、時に疾走感を伴って、一緒に駆け抜けていく時間も心地よかったな。


とても私の言葉だけでは伝えきれません。



元々好きだったのですが、ライブを聴いて更に好きになった曲があります。




こんな歌詞があります。

犬達 走る吠える 草むらの上

唾液だらけのボール 宝物だね

夢にまで出てきたわ

執着心は醜くなんかないわ

身体が素直なだけさ
カネコアヤノ「眠れない」


滑らかなメロディラインと歌声で、この部分の情景が目の前かのように見えてきて。

優しく語りかけるような言葉に率直さを感じ、自分の心の正直なところに直に届いてくる気がします。


身体の素直な部分は、時に置いてきぼりになる。



そんな日々の中で停滞してしまったとき、「無理に寝ない」ことも、たまにはあってもいいんだと気づいた、私にとってそんな曲です。


今週もお疲れ様でした。


おやすみなさい。

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