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#勇気の芸術 1 『何から書けばいいのか分からない』

さて、
ずっとdocsに書きためていたことを、こうしてnoteに出していこうと思ったのですが、、、

場所が変わるとまた「何から書けばいいのか分からない」ということからやり直しになっています。

走り書き用のノートでも詩を書く時でもでも、やはり僕はいつもこの言葉から始まっています。

いつも頭の中はぐしゃぐしゃとしていて、何かを発見して衝動が起きるそれまでは、世の中のことに右左とふりまわされながら、ビクビクしながら、大人になったってそうです。

そうこうしているうちに、
こうしてただただ自由に気ままに綴り始める。

誰もが感じていたような、
一部の人だけが知っていることだったような、
目に見えなくて、みんなが共通ではないコト。
自由だから一人ひとりに任されてきたけど、
不安の中で生きているうちにみんな縮こまってしまって、
余計に雁字搦めになっていく。
不安を消すために安心を掴みたいという欲求はとても人間らしく愛おしい。

そして、この安心の延長戦の世の中は、どうも飽和していくようにも見えるのです。

安心を越えた、もっとみんながみんな、みずみずしくなれるような新しい文化を僕たちはつくれるのではないか?
ということが僕の見てるトコロです。

2021年という年はきっとその境界線ギリギリの間で、いくつもの圧力から圧されたり、引っ張られたり、そんな時代なのではないでしょうか。
新と旧、生と死、明と暗、あなたと私、芸術はいつもこういう対峙するギリギリの間を絶えず往復している時に生まれるのだと思います。

ここで僕は、
「生きる」という話をしたときに避けては通れない「勇気」について向かって話を進めていくのですが、肩に力を入れるともなく、遠回りも近道も選びながら、直接に読んでくれていると人と対話をしているような気分で、ただ息を吸って吐くように届けていきます。

僕の全ての話は、芸術の話を軸にしています。

芸術から教えてもらったことを汎用していき、読んでくれた人の勝手な解釈になって「ポッ」と温かい希望が生まれたり、反対に僕とぶつかったりしてもいいと思っています。
そのぶつかりが、またその先には必要なのです。
どんどんとぶつかって、この国の未来がサイコーになることを願うのです。

混沌とした時代には、
豆電球のような温もりのあるそんな対話と、
創造で溢れかえる時代が次の世代へと勝手気ままに受け継がれることとが必要なのかもしれません。



まずは次回、「人間力とはなんなんだ」と「なぜみんな知覚を異ならせないのか?」をテーマに話を進めていきます。



芸術とは生きることそのものであり、
芸術家とは、自分を生き続ける人たちであり、
未来をつくることは、今、自分とぶつかりあうこと


全ての人が、小さな芸術家としての一歩を。


※見出しの写真は、岡本敏子さんの
『今、生きる力』(青春文庫)

改めまして、真鍋徹也です!
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