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クソ真面目Vaporwave

初めまして

昨今Vaporwaveなる文化が流行っていますよね(2011~2013年のリバイバル的な側面として)
特に今年のフジロックでのNight tempoの来日以降Futurefunkが顕著に流行っている印象を受けます。Night tempoの年末のツアーも即完で買えませんでした。

 さて、こういった新しい文化と著作権との関わりについては問題が顕在化してないこともあってあまり調べる術がありません。こうなったらDIYということでとりあえず書いてみることにしました。
 Futurefunkの話です。そもそもVaporwaveはその根本的な在り方として既存の様々な表現、すなわち「著作物」のつぎはぎ、改変することで作られていきます。このジャンルについて語るにはちょっと奥が深すぎて末恐ろしいのですが、「Floral Shoppe」等に代表されるEccojamsといったジャンルや前述のFuturefunkなどはサンプリングされる部分が曲のサビであったりイントロであったりまたは全体であったりと楽曲の特徴的な部分を用いてピッチを上げたり、下げたり、ディレイさせたりするため、著作物の「翻案」に当たるものだと思われます。  

つまり「著作物の美的要素を直接感得できる程度に再現されている」上で「その独自の創作性がさらに付加されている」と認められれば「翻案」になります。平たく言えば「翻案」とは自分の著作物から自由に二次的な著作物を作ってよいという著作権者に認められた権利を指します。そうなるとサンプリングするには基本的に著作権者に承諾を得なければ翻案権の侵害になるわけです。サンプリングが問題となるジャンルとしてHip Hopがよくあげられますがこのようなメインストリーム付近のジャンル界隈では訴訟に発展する問題もあったことでプレイヤーの共通の認識として許可を取ることが前提にあるような印象を受けます。有名所だとSugerhill GangのRapper's Delightが元ネタのGood timesを作ったChicに訴えられた事件です。(PlinderphonicsやBiz Markieなんかもそのうち取り上げたいです)


Futere funkの話に戻りますがVaporwaveがインターネット上で広まった本来上記の認識を共有できる現場にはいなかったような人々(もちろんあらかじめ知っていた人もいると思いますが)により作り出されたジャンルだとすれば1つ1つに著作権者の許可を取るステップを踏んだ作品は多くは無いように思います。ましてやそもそも国境という概念が無い場所で広まっている事を踏まえればどこの国の人かすら定かでない著作権者に言語の壁を超えてコンタクトを取ると言うことすら煩わしく感じる気がします。そうなると派生ジャンルたるFuturefunkもそのルーツを汲んでいるとすれば基本的には無断での創作が主流だと考えられます。そして無断で翻案された作品は法律上原著作物の侵害となり損害賠償、差止の対象となります。

「違法なんだからそりゃ取り締まるべきだろう」基本的にはそうだと思います。一方でyoutube上で無断アップロードされた日本の70’80年代のポップスの投稿削除のいたちごっこがFuturefunkという音楽ジャンルの誕生、普及に貢献した事は否めないように思います。また海外で人気を得たジャンルが逆輸入的に日本に入ってくることで、日本国内はもちろん海外旅行者による需要が跳ね上がりそのサンプリング元の曲のレコードの価値が跳ね上がったり、当時のアーティストが再び活動を活発にしたりとその経済効果を還元させる結果になるような現象を引き起こしているのもまた事実です。そしてひいてはリバイバルブームとして波及し音楽文化を盛り上げていることも認めざるを得ないように感じます。

では著作権者は黙ってみていろというのはそれもまた違いますが経済的な損失の面、改変してほしくないという主観的な面からちょっと雑感をまとめてみます。 

 著作権者にとってどう権利を保護していくのが一番理想的なのか、何をもって著作権法があってよかったと感じるのか、著作財産権、人格権それぞれの保護のあり方そのものについて見直す必要があるのではないかと僕は考えています。僕は初めは著作権の権利としての認識が浸透していないが故に濫用、悪用する者が他の紛争形態よりも多いことを捉え、権利保護の仕組みを整える事が著作権者の経済面の保護を図ることにつながり、それが著作物を生み出すインセンティブとなり文化の発展に資すると認識していました。しかし権利の重要性を強調するあまり、無断な拡散には差止と損害賠償をするべきという著作権法の建てつけそのものが果たして正しいのか、各文化の相乗効果を通して新たな価値を生み出す事があらかじめ予定されているとも言える著作物には一般的な権利感覚とは違う側面があるのではないかと感じるようになりました。今では権利を侵害があると捉えうる状況でも、その先の別の価値の発生がより大きな経済的、文化的効果を与えることもあるという認識を共有出来る仕組みを整える事が著作権法の目的である文化の発展にもより合致するのではないだろうかと。

二次創作をする側される側の歩み寄りが穏便にできる仕組み。欲しいですね...納得せざるを得ない理由があっても好きな音楽が聴けなくなるというのはやはり悲しいです。先ほど上げたSugerhill GangとChicがこうたどり着いたように両者が歩み寄って出来るものってまたひとつ次元の違う新鮮さを覚えます。  



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