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53「MとRの物語(Aルート)」第三章 15節 ジン・ジャン(月光姫) その1

いつもありがとうございます。
今回は執筆に、すごく時間がかかってしまっていました。
どこまで書くか、何を省くか。小説の解説回では、その判断が難しい。
タイトル絵は、私の想像する、「本多君の頭の中のジン・ジャン像」です。

(目次はこちら)

「MとRの物語(Aルート)」第三章 15節 ジン・ジャン(月光姫)その1

 それから2週間ほど、Rは「豊饒の海・第三巻 暁の寺」の読書に没頭した。と言っても、授業はしっかりと受けたし、母親に代わっての食事の支度は、ずっと続けていた。ただ、コンビニのアルバイトは、もう2か月ほど、お休みさせてもらったままだ。母親には申し訳ないけど、そこだけは、わがままを言わせてもらっている。
 学校では、休み時間はずっと読書にふけった。昼休みになると、図書室で調べものをするか、屋上で読書を続けるかのどちらかだった。図書室の少年は、相変わらずRのことを心配していたが、Rの様子に変化が何もないことを見てとり、少しずつRの、もう霊の心配はいらないという言葉を、信じ初めていたようだった。
 教室でRに声をかけてくれたメガネっ子は、ずっとRに話しかけたい素振りを見せていたが、猛烈な勢いでRが読書をしているのを見て、Rの気持ちを察してか、読了を待ってくれている気配だった。Rにはその気遣いが嬉しかった。

 「豊饒の海・第三巻」も、二巻同様に、難解な部分がいくつかあり、Rはそういう部分で少し手こずったが、これまでMから色々解説してもらっていた下地もあり、いつまで経っても先に進めなくなるほどのことは、無くなっていた。特に第三巻を読み進めるにあたっては、タイの首都バンコクの夕焼けのシーンの意図を、早めにMから解説して貰っていたのが、大きく功を奏していた。すべては「滅びと再生」、「絶望と希望」の結合、混合であった。。そういった概念を思い浮かべながら読めば、意外なほどあっさり、すべてのシーンに説明がついたのだ。一巻から印象的に使われていた「滝」というキーワード。その意味もだんだん、わかってきた。滝とはほとばしり、落ちてゆく水と、その次の瞬間に新たに流れ来る水との織り成す連続性。連綿とゆったりとしかし激しく続くそれは、空間に形成される大河、ひとつの壮大なドラマであった。

そんな第三巻におけるの主要人物、ジン・ジャン(月光姫)。

  洋風の白地に金の縫取のあるブラウスに、
  マレイのサロンに似たパシンと呼ばれる
  タイ更紗(さらさ)のスカアト様のものを召され、
  朱地に金の飾りのある靴を穿(は)いておられる。
  髪はこの国特有の断髪であるが、
  むかしカンボジヤ軍の侵寇(しんこう)に対して
  男装して戦ったというコラートの町の勇敢な乙女たちの髪型を
  伝えたのである。

   ※新潮文庫・「暁の寺(豊穣の海・第三巻)」
          三島由紀夫著 P.49より引用、改行位置など調整

 ジン・ジャンは、自分が日本人の生まれ変わりだと主張し、日本からバンコクを訪れた本多のズボンにすがりつき、大泣きする。本多はジン・ジャンに、第一巻の主人公清顕(きよあき)と、第二巻の勲(いさお)にまつわる質問をしてみたが、ジン・ジャンの答えは、驚くべきものだった。こうして本多は、再び「転生の証」を求めて妄執に囚われていくことになるが、この時の本多はまだそのことに、気づいてはいない。
 ジン・ジャンと本多の、2回目の謁見は、バンパイン離宮での姫のドライブおよび水浴びに、本多が招かれる形となった。

  姫はなかなか静かではなかった。
  更紗をすかす日光の縞斑(しまふ)のなかで、
  たえず本多のほうへ笑いかけながら、
  そのやや大きすぎる子供らしいお腹(なか)を庇(かば)いもせず、
  女官に水をかけて叱(しか)られては、水をはね返して逃げた。
  水は決して清冽(せいれつ)ではなく、
  姫の肌の色と同じ黄ばんだ褐色をしていたが、
  その澱(よど)んで重く見える川水も、
  飛沫(ひまつ)になって更紗を透かす光点を浴びるときは、
  澄み切った滴(しずく)を散らした。

   ※新潮文庫・「暁の寺(豊穣の海・第三巻)」
          三島由紀夫著 P.65より引用、改行位置など調整

 Rの文字を追うスピードは、一巻、二巻の時と比べ、明らかに上がっていた。そのスピードが、急激に落ちた部分がある。それはジン・ジャンとの3度目の謁見の前に挿入されている、インドのベナレスという場所についての描写であった。本多はタイでの仕事を終え、少し足を延ばしてインドに旅行する。そこで訪れたいくつかの場所のうちのひとつが、ベナレスだった。

  ベナレスは、聖地のなかの聖地であり、
  ヒンズー教徒たちのエルサレムである。
  シヴァ神の御座所(おましどころ)なる雪山(せっせん)ヒマラヤの、
  雪解水(ゆきげみず)を享(う)けて流れるガンジスが、
  絶妙な三日月形をえがいて彎曲(わんきょく)するところ、
  その西岸に古名ヴァラナシ、すなわちベナレスの町がある。
  それはカリー女神の良人(おっと)シヴァに奉献された町であり、
  天国への主門と考えられてきた。

   ※新潮文庫・「暁の寺(豊穣の海・第三巻)」
          三島由紀夫著 P.74より引用、改行位置など調整

そう、ベナレスは聖地だ。おびただしい、死に瀕したもの、死を待つものが、インド中からベナレスを訪れ、ガンジス川の水で身体を清める。死した者は火葬され、その灰は、ガンジス川に流される。そうして人々は、天国に至るのだ。

 すごい所だね……。でもなんだか、不思議と悲しくないよ。

 うん……。

Mは短く答えた。語りたいことはいくらでもあるが、これ以上の余計な先入観は、作品を味わう上での邪魔だろうと考えたからだ。「滅びと再生」、「絶望と希望」、それらが生む虚無。それをRはもう理解しているし、そういうコンセプトであることを前提に、うまく読めていることがわかっていたのだ。虚無という概念を、この若さですんなりと理解し吸収してしまうRの性格を、少なからず心配せざるを得ないMではあったが……。

  (作者注:上記は私の解釈であり、Mさんの真意とは異な
   る恐れが多分にあります)

 インドでの描写を終え、物語は再びバンコクに戻る。インドで買ったお土産などを持ち、本多は再びジン・ジャンと会う。本多がその後日本に帰ることになっているとは、ジン・ジャンには伝えないように、との約束であったのだが……。

  突然、姫の目が張り裂けんばかりにみひらかれた。
  女官たちが一せいに険しい目に変って、
  本多を睨んだ。何が起こったのか本多にはわからなかった。

  姫はいきなり鋭い叫びをあげて本多にしがみつき、
  女官たちは立ち上がって、姫を引き離そうと躍起になった。
  姫は本多のズボンに顔をすりつけて、
  何かを喚(わめ)きながら泣き叫んでいた。

  たちまちいつかのような修羅場がはじまった。
  やっと本多の身体から姫を引き離すと、
  女官たちは本多に「逃げろ」と合図をし、
  その合図が菱川によって訳されたとき、
  また本多は泣きわめく姫につかまりかけていた。
  卓の間、椅子の間を縫って本多は逃げ、
  これを姫が泣きながら追い、
  その姫を三方から女官が追って、
  ルイ十五世式の椅子はけたたましく床に倒れ、
  宮殿の広間は鬼ごっこの庭になった。

   ※新潮文庫・「暁の寺(豊穣の海・第三巻)」
          三島由紀夫著 P.123より引用、改行位置など調整

Rが顔を上げ、目をきらきらさせながらMを見た。

 Mさん、これは萌えだね! ライトノベルだね!

 うん……、そういう解釈も出来なくもないな。
 幼女萌え、という概念を、最初に文学に持ち込んだのは、
 俺だったのかもしれないな。いや、半分冗談だけどね。

 ジン・ジャンかわいいよ、ジン・ジャン。
 この後どういう展開になるか、楽しみになってきたよ!

Mは何か言いかけたが、再び口をつぐんだ。「滅びと再生」がテーマの豊饒の海という小説で、わかりやすい幼女萌えなど、書くわけない。つまりこのシーンでの、ジン・ジャンのきらめく硬い宝石のような魅力が、今後どう変わってしまうのかを、ハラハラしながら見守るのが、この第三巻の、正しい味わい方なのだが、Rがそれに気づくのは、きっとこの巻の、最後の最後でだろう。だが……、とMは少し不安になった。

 Rの言うように、もしこれが日本初のライトノベルであり、
 俺がもっと軽薄なストーリーを書いていたならば、
 日本はどうなっていただろう?
 このような日本に、なっていただろうか?

MはRに思考が伝わらないようシールドをしながらそのように考え、片手を置いたノートPCの画面に一瞥をくれた。そこにはこう書かれていた。それを見てMは、ニヤ、と唇をゆがめた。

 「自民党圧勝。立憲民主党が健闘。希望の党に希望は見えず」

<つづく>

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