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何を考えているのかよく分からない

「何を考えているのかよく分からない」
そういえば、そう言われることが多かったように思う。
特に少年時代は「何を考えているのかよく分からない」「どんくさい」「話さない」が僕のことを表すトップ3だった。
特に「話さない」に関しては、5歳くらいまで「ダッ」しか言わなかったという逸話も残っていて、よく聞かされたものだった。
最近では、元体育会系だったわりに苦手でよく逃げ出していた飲み会にもよく行くし、言葉数が少ないのは自覚しつつも、割と馴染めているもんなのかと思っていた。
しかし、つい先日のこと。「何を考えているかわからない」という言葉を久しぶりに言われた。「noteなどで自分のことを書くようになったので、ある程度はわかるようになった」という注意書きはあったものの、「あー。なんか久しぶりに聞いたな、これ」という気持ちになった。
ふむ。
特に今回は注意書きがあったとはいえ、僕の人生の中で最も多く飲んでいると思われる方から言われたので、普通に絡んでいる人には全く分かっていないんじゃあないかという恐怖も感じた。

自分でもよくわからん。
何を考えてるんだこいつは。

Know yourself

システマでよく言われることであり、それ自体を1つの目的としてトレーニングを行なっている。がしかし、マスター達のセミナーがあった後なんかは情報量が多すぎて何も考えられなくなり、ぼーっとしてしまうことがよくある。
意外にも、そういう時に限って自分との対峙ができている。
頭や言葉で考えるのではなく、自分自身という海にただぷかぷかと浮かんでみる。流れるままに流されたところで見つかるものは、きれいなものであることは少ない(というかそんなことあるのか?)が、そういう時間こそが本当のシステマの学びの時間であるように思う。それを思うと、頭で考えてしまうのも一つの弱さであるような気がしてくる。


「地獄とは他人である」と言ったのはサルトルだったか。
分かり合えない他人への恐怖が世界中で増殖しているような、近頃の世の中なので、「他人のことなんかわからなくてもいいではないか」と切り捨ててしまうのはあまりにも冷酷な生き物扱いされそうで、なかなか言い出せない。最初から期待しないでおけば、傷つかないし、優しくされたときに嬉しさが増すというのが昨今の猫ブームの所以なのかもしれぬ。
僕もたまにデカい猫に腕枕されて寝たい欲求がこみあげてくる。

話はそれるが、最近のシステマ界はプッシュアップブーム。(正確には4大運動全般)
最初は1日100回とかから始まり、今ではスロープッシュアップ(1分で降りて、1分で上がるなどゆっくりプッシュアップすること)になった。あとはブレスホールドとスタティックくらいか。次はどっちかな。
ミカエルは今までのワークの細かい意味を伝えるという名目で、それらしい理由をつけてはいるが(もちろんその意味がしっかり含まれていることは前提である)、実際のところ「色々言ってきたけど、4大運動くらいはちゃんとやっとけよ。」っていうのが一番大きいのではないかと思う。マスター陣は総じて身体能力が高く、それなりに(僕らでは想像が及ばない程度には)身体を鍛えてきているので、僕らもそれなりに(できる範囲で)やっておかないと、語られる言葉の意味がずれてきてしまうように思う。(どうしたって合いはしないのだろうが。)
身体レベルで言語化されずに、頭だけで考えた言葉はどうしても軽くなる。
どんどん新しい言葉が生まれるのはそんなのも理由の一つなのだろう。
4大運動では回数をごまかせてしまうことが多いので、目安にしかならないように思っていた時期もある。しかし、スロー、ブレスホールド、スタティックはある程度のラインを超えると筋肉の緊張ではどうにも解決できない領域に入り、自分自身と向き合わざるを得ない。なので、なかなか人とワークできない時期にやるにはとてもいいワークになるのではなかろうか。

筋トレと違って、システマのトレーニングはリラックスさえ深くなればどんな人でもできるようになるものだと思っている。
それなりにトレーニングをしている人であれば、ミカエルのウェビナー(7月の23・24日)で言われたくらいのトレーニングで身体を追い込めば、今までとは違った身体の使い方が芽生えてくるようになるだろう。そうした身体の使い方こそが自分自身の人生を助けるための最大の杖として働いてくれるはずだ。
きついトレーニングをこなすことはできなくても、そうした身体を作るためのトレーニングはすでに与えてもらっている中にあるはずで、それを組み合わせていくと戻ってきたときにできなかったトレーニングができるようになっていることは意外と多い。
気づきのきっかけはマスターやインストラクターが教えてくれるが、実際に気づいて実行するのは自分でなければならない。他人に言われなければ気づかぬこともあるだろうが、自分でないと気づかぬこともあるだろう。知るために気づく。それもまた一つのトレーニングかもしれぬ。

体育会形の追い込みにどれほどの意味があるのかは疑問だったが、たまにはミカエルみたいに追い込んでくれる存在がいるとたまにはいいもんだなと思う。
自分のことをよくは知らぬが、こういう部分はマゾやもしれぬ。

だれぞしる
あわいきもちの
うつろいも
わたしのこころ
しらぬままでは

ワダデミー賞についてちらほら聞くので、上半期のトップ10くらいは近々発表しませう。これも自分を知るきっかけになるだろか。

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