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遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうの自分を

そもそも、こうして日記を書きだそうと思ったのはスズキナオさんの『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』という本を読んだことがきっかけだった。
書かれている内容は、日々の何気ない体験や行動から、その時自分が感じたことや、街を歩いていて行きついた定食屋さんで食べたもののことや、ちょっとした旅のことなど、そしていつも選択しないほうの選択をしたときに感じたことが自然体で書かれている。
わたしも、何気ない日常のなかでも、感じていることは色々ある。それを文書にしておかないと、その時に感じたことが置き去りにされてしまう、もう二度とそのときと同じ感情をもつことはない。と考えるとやっぱりどこかもったいなくて、そして何よりも、誰かに読んでもらって「おもろいやん。」とか「おもんないやん。」とか何かを感じてもらいたい。そう思ってちゃんと文章に残そうと思ったのだよ。

新型コロナウイルスのオミクロン株の影響で、長男(そうすけ、6歳)の予定されていたサッカーの練習やら、試合やらが中止になった。(「オミクロン株の影響で」と書くと、どこか株価が暴落した話みたいに聞こえますな。)そのことで、本日1月23日、日曜日は久しぶりに予定がない休日なのだ。コロナが下火だった秋ぐらいから、週末は何かしらサッカーの予定があったのだ。そうなると、がっつりとどこかへ出かけるとかそうしたことがこの数カ月はなかったのだ。
ということで、今日は久しぶりにサッカーの予定がない日曜日だ。どうする?「そうすけに何をしたい?」と聞くと、「友達と遊びたい。」ということだった。
それをうけて妻が友達(ママ友)に、呼びかけをしてくれたが、残念ながら今日は誰も釣れなかった。
だからと言って、特に悔しがる様子も見せずに、家のなかで、みちるとかなめとお化け屋敷ごっこといって、カーテンを閉め切って、リビングや寝室に枕や、掛布団や、人形を散乱させて楽しそうに遊んでいる。
こうして、兄妹同士で遊んでくれるので、兄妹って本当に素晴らしいなと、しみじみと思う。

昼下がり、お茶をきらせたので、わたしがお茶を沸かす。普段は麦茶を沸かしているのだが、最近は妻が購入してきたコーン茶を使っていた。
でもたまたま、そのコーン茶のパックがきれたので、一つ残っていた「ごぼう茶」のパックを沸騰したやかんに何も考えずにぶちこんだ。一つだけ残しているのもなんだしと、麦茶を使うことももちろん一瞬頭をよぎったのだが、ごぼう茶を選択した。
このごぼう茶は、あじかんという会社が作っているものでとても美味しい(とぼくは思う)。では、スーパーで買っているのかというとそうではなく、数年前からあじかんの株を200株だが保有している。それの株主優待として、一年に一回か、半年に一回か送られてくる。なので株主としては、この会社の実力を見定めるためにも、しっかりと商品は体験する必要があるのだ。(そんなおうげさな。)
そのごぼう茶を、かなめが飲もうとすると、「なんか変なにおいがする」といって返された。それは普段飲んでいる麦茶なんかよりは、確かに独特のにおいがする。
その後、そうすけもごぼう茶だとわからずに口に含んだ。次の瞬間に「おえー」と言ってはき出そうとする。
それを見かねた妻が、「もうこんなんやらんといてーや」と言う。わたしもこれだけあからさまに飲んでもらえないので、特に返す言葉もない。このように子どもの味覚や好みを考慮して、家で使うものを根本的に考えなければならないことは、子育て家庭ではよくあるはなしだ。
例えば「辛いモノ」なんてのは、どれだけ自分が好きだったとしても家のなかの食べ物のスタンダートになりさがることはできない。だってそんなもの子どもたちが食べられないのだから。でも辛いモノ好きとしてはどうするかというと、LAで調達したサルシッチャソースという非常に辛いソースをセルフで自分の食べ物にかけるしかないのだ。
こうして工夫をすれば、たいていのことは出来るようになるのだ。だから、ごぼう茶は子供たちが飲めない。と言われて、めげている場合ではない。
どうしてもごぼうを味わいたいのであれば、ごぼうをたっぷり使った「炊き込みご飯」を作ればいいだけの話である。非常にシンプルだ。
ようし、炊き込みご飯を作りたい熱が湧いてきたぞ。


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