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迷える趣味

 最近忙しくて全然書けてませんでした。今日も自分語り濃いめです。

 趣味とは、一体何なのだろうか。両親曰くまだ日本語を覚える前から鉄道が好きだったとされる私は、近年までそのような疑問を持つ機会がなかった。しかし、中学高校に入り多種多様な人々に触れるにつれ、趣味を持たない人や趣味を持てず悩む人を見かけるようになり、そこで改めて趣味とは何かと考えた。

 まず、私の鉄道以外の趣味は、ゲーム、絵を描くこと、写真、そして旅行である。よく趣味の見つけ方という記事を見かけるが、私は趣味の基準が今一よく分かっていない。私は好きになったものを直感的に追い求め、好きになれないものは形だけでも好きになることが出来ない。そして僕の中で趣味と言える段階まで昇華する分野は数少ない。となった時、私が考えたのは「その趣味の何が楽しいのかということ」である。今回は絵に焦点を絞っていく。

 私の絵は、「自分の脳内のトレンドの記録」である。まず私は、所有欲が非常に激しい。自分の脳内の好きなものをとにかく目の前に出現させたいのである。私が絵を描き始めたのは小学生の時。好きなゲーム「スーパーペーパーマリオ」のキャラクターを自主的に描いていたのだが、両親によく褒められていたと記憶している。両親の性格上、お世辞は断じて言わないタイプなので実際そこそこの出来だったのだろう。その後もただ好きなものを気ままに描き続け、何度か美術館の作品展に展示されたことがあった。鉄道車両もよく描いており、「何も見ないで首都圏のJRの電車を全て描く」という面白そうなこともやっていた。次第に東方にハマった私は東方イラストを描くことが増えた。キャラクターの衣装に個性があり、描いていて飽きることがなかった。次第に学校でもちょっと絵が描ける人という認識を頂き、この時は純粋に嬉しかった。自己顕示というよりは、自分の筆跡を気に入ってくれる人がいることが嬉しくてたまらないのだ。...趣味がない人にとって、この自分語りは何の参考にもならないだろう。しかしそれでいい。その趣味の喜びを無心で書き続けられるような熱意が、趣味を続ける秘訣だと思う。

 だからこそ、私は安直に趣味に効率を求めてはいけないと感じている。効率、という言葉は主に作業や仕事などの、あまり楽しむことではない場面に使われる。趣味に効率なんてない。そもそも仕事と違ってノルマも何もない。薄い多趣味よりも、例え一個の趣味でもそれが生きる意味になっているのだとしたら、私は後者を趣味人と呼びたい。無自覚で楽しんでいるのだとしたら、もはやそれを改めて趣味と認識する必要すらないだろう。

 ここまでさんざん回り道をしたが、私は趣味を「生きる理由」だと考える。仕事が生きる理由なら、それが趣味だ。世間が気持ち悪がるような趣味だろうがそれは立派な趣味だ。そんな時は社会の貧しい感性を心のなかで笑うといい。趣味は、自分の相棒のかけがえのない相棒なのだから。

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