見出し画像

北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ

その28 羽幌炭礦鉄道のはなし(5)


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線廃線跡を主にした記事を投稿しています。

ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま、書いていこうと思います。個人的主観で、なるべく有名でなさそうなものを・・・

|羽幌炭礦《はぼろたんこう》鉄道には、比較的新しい車輌が多かったため、廃止後、蒸気機関車以外は第二の職場を得ることができました

2.羽幌炭礦鉄道のディーゼルカー・ディーゼル機関車

最初は、国鉄から客車として譲受した、ホハフ5(旧国鉄キハ07形)を、ディーゼルカーに復活(キハ1001)し、主力となりました。

1959年には、私鉄初のレールバス、キハ11を導入しますが、羽幌炭礦鉄道には小型過ぎ、1960~66年にかけてキハ221~3が登場しました。
国鉄キハ22形の同形車ですが、運転室正面窓に旋回窓があるのが特徴です。ただ、キハ221には最初はなかったようです。

茨城交通湊線キハ223 元羽幌炭礦鉄道キハ223 1984年4月撮影

ワインレッドとかマルーンとかいわれる車体に白帯を配した塗装で、全国初ともいわれる女子車掌が乗務したことでも知られています。

羽幌炭礦鉄道は築別ちくべつ~築別炭礦間16.6kmしかなかったのに、キハ221~223は便所つきでした。

|留萠《るもい》鉄道恵比島えびしま~昭和間17.6km)の国鉄キハ22形の同系車、キハ2004・2005には便所はなく、そのため側面窓配置もちがっていました。

茨城交通湊線キハ2004 元留萠鉄道キハ2004 同
便所なしのため側面窓配置は左右対称、正面ヘッドライト横にタイフォンがつくのが特徴

朝には、羽幌へ通学する高校生のため、築別から羽幌まで国鉄羽幌線に乗り入れていました。
羽幌線の気動車が、国鉄車輌としては超小型のレールバス(キハ03形)もあったのに、乗り入れ車の羽幌炭礦鉄道は当時最新型のキハ22形だったのも、いかに築別炭礦が盛んだったかを物語っています。

1969年4月には、羽幌炭礦鉄道にもディーゼル機関車(DD1301)が登場しています。

炭鉱鉄道へのディーゼル機関車の導入は、自前の石炭のある炭鉱鉄道でさえ蒸気機関車を使わない、いかに蒸気機関車が非効率な動力車であるかの象徴といわれたものです。

3.羽幌炭礦鉄道の蒸気機関車

最後まで残った58629号機とC11 1号機は、58629号機が羽幌町で保存C11 1号機は解体処分されました。

羽幌町で保存されていた58629号機 1981年9月撮影
羽幌炭礦鉄道で密閉式に改造された58629号機の運転室 同

余談ですが、現在「SL大樹」で活躍中のC11 123は元江若こうじゃく鉄道C11 2号機です。
羽幌炭礦鉄道のC11 1号機は江若鉄道で同時期に活躍していますが、動態復活した元同僚とは対照的な運命となりました。

58629号機も、隣接する建物の屋上からの落雪があるなど、写真撮影時でさえ、あまりよい状態とはいえませんでした。
その後、残念ながら、解体撤去されてしまいました

4.羽幌炭礦鉄道キハ221~223その後

羽幌炭礦鉄道のキハ221~3は最後まで主力として活躍しました

キハ221でも新製からまだ15年ほど、キハ223は4年しか経っていなかったので、茨城交通|《みなと》線(現・ひたちなか海浜鉄道)へ移ったことはよく知られています。

湊線では、便所撤去などはされましたが、塗装も羽幌色のままで、さらに在来車まで、羽幌色になるというおもしろい事例になりました。

塗装変更中のキハ222 後ろに見える元留萠鉄道キハ1000と同じ色となる 1984年4月撮影

ひたちなか海浜鉄道で廃車後は、222は阿字ヶ浦あじがうら駅にあるひたちなか開運鐵道神社のご神体となり、223はさいたま市のほしあい眼科で、羽幌色に復元され保存されています。

222は〝ご神体〟だから、これからも保存されることが期待できます。
ほしあい眼科でも、定期的に手入れがされているなど、たいへん大事にされているので、こちらも安心です。

近年、財政難から自治体においても、保存車輌の撤去解体が増えてきました。やはり鉄道や車輌に愛情のある個人や団体にはとうてい及びません。

羽幌炭礦鉄道キハ222・223は、ふるさとでは10年足らずの活躍でしたが、茨城交通湊線→ひたちなか海浜鉄道では40年以上も使われました。

現在でも北海道内各地に保存されている、国鉄キハ22形と同形車なので、それほど特色のある車輌ではないのにもかかわらず、保存されるという幸運な車輌となりました。

5.羽幌炭礦鉄道DD1301号機その後

会社倒産、鉄道廃止のわずか1年前の1969年に新製されたDD1301号機は、日本製鋼所室蘭製作所へ転じています

日本製鋼所ではDD23号機となりましたが、羽幌時代のナンバーもそのままでした。

元羽幌炭礦鉄道DD1301号機だった、日本製鋼所室蘭製作所DD23の運転室 1993年6月撮影

塗装も塗りかえてはいるでしょうが、羽幌時代のものを継承しているように見えます。
車体も、運転室窓の旋回窓もそのままで、バックミラーなどがついているほかは、あまり変化がないようです

同全景 前後に控車がついていた 同

上の写真は、ある学会の見学会で撮影したものです。
工場内の通例として、構内の写真撮影は制限されていましたが、鉄道車輌についてはOKでした。

複数いるディーゼル機関車(製鉄所特有の無線操縦の機関車は見かけた)のうち、元羽幌炭礦鉄道DD1301号機が来るとは、じつに幸運でした。

ボンネットの形状・前面など、同時期に同じ日立製作所で製造された夕張鉄道DD1000形とよく似ています

北炭真谷地専用鉄道DD1002(←夕張鉄道DD1002) まだ夕鉄の社紋もそのまま 1986年10月撮影

タイトル写真は1995年7月、当時の勤務先から正式なルートで、日本製鋼所室蘭製作所の許可を得て撮影したものです。

このときもカメラの具合が悪く、悲惨な写真になってしまったのが、悔やんでも悔やみきれません。

超大型の鉄鋼品を牽引するため、小型のロッド式からDD23まで5重連という豪華版でした。

6.羽幌炭礦鉄道の面影

以下のホームページには、羽幌炭礦鉄道のことが詳しく載っています
ユーチューブにはビデオまであります。

こうした映像や写真をみると、もともと住民の結びつきが強い炭鉱集落というのは、関係者とってはとくに強い郷愁を呼びさますのでしょう。

羽幌炭鉱のように、いまではまったく姿を消し、原野に還ってしまっている地区ではなおさら。

今回はこのへんで。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

ご意見・ご感想、そしてご要望など、どうぞお寄せください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?