見出し画像

自分たちのできることは何か。関心領域(The Zone of interest)

イントロ


 こんにちは!女子高校生のrynca🐌です!
今回は今超話題になっている『関心領域』という作品の感想(?)を書いていきます!めちゃくちゃいい映画なのでぜひ見に行って欲しいです!
 本編です↓




自分たちのできることは何か。関心領域(The Zone of interest)

あらすじ

 青い空の下。子供達の笑う声とそれを見守る母親の優しい声。平凡な家庭がそこにはあった。夜が更ける。真っ暗な空にどこか鳴り止まない騒音と赤い火と黒い煙が見えてくる。幸せそうに見える家庭とは反対に、そこには地獄との隣り合わせの生活が隠されていた。
 物語は壁一枚で隔てられたアウシュビッツ収容所の所長(ルドルフ・ヘス)の暮らしとその家庭が描かれている。言葉や映像では表現できない暴力は聴覚的にこちらに訴えてくる。人間が持てる関心の限界と二つの世界のそれぞれの残酷さが見る者の精神を蝕んでいく。


情報

ジョナサン・グレイザー監督がイギリスの作家マーティン・エイミスの小説を芸案に手がけた作品。2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でグランプリ、第96回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞している。グレイザー監督はイギリスの映像作家で映画の他にCMやMVなども手掛けている。そんなグレイザー監督が起こす演出は恐怖を直接おび明かすような露悪的な映像表現ではない。受け手が自然に外の世界を想像しろと言うような、視聴者を完全に信じ切った演出となっている。そんな演出に私たちはより世界観に没入し、底知れない不安感と不快感を味わうことになる。


収容所を想像させる演出

 冒頭、映画が始まりいろんなスポンサーが表示された後、黒いスクリーンを背景に原題である「The Zone of interest」が表示されると、音楽ミカ・レヴィによる男声の甲高い歌声が映画館の中を包み込む。タイトルが静かに消えた後も真っ黒なスクリーンを残し、その歌声に輪唱するように男声と女声と続いていく。それがいつしか鳴り響く歌声が不協和音となり、それが時代を超えた悲惨な叫び声に聞こえてくる。そんな体感5分ほどに続いたその音楽はこれから起こるの物語の残酷さを予告していた。

 物語の幕開けから流された収容所の人々の姿を揶揄した音楽。それはみてる人にひどく印象付けた。この物語は””で収容所の想像を掻き立てている。それがまさに視聴者を信じ切った演出である。

 「私自身は映像にして見せたくはなかったが、私たちが学校で勉強したり観たりした映像が、劇中の音や、その音に対する解釈を埋めてくれると思う。」

関心領域 THE ZONE OF INTEREST (劇場パンフレット)より

 この作品では、暴力的な描写や直接的な情景描写は描かれていない。人の叫び声、泣き声、死体燃焼施設のボイラーが発する音。ヘスの家のシーンでは、綺麗な庭園や幸せな家庭を背景にずっと収容所の地獄を体感させられるが鳴り続けている。しかし、怖いことにスクリーンの中にいるヘス一家にはそれが聞こえていない。それがまた恐怖を増幅させると共に、こちらが何もすることのできない『傍観者』であることを突きつけてくる。

 収容所からの聞こえてくる泣き声とは別に、もう一つ聞こえてくる泣き声がある。それはヘス一家にいる生まれてまもない赤子の泣き声だ。
 夜が更け、みんなで食卓を囲み晩御飯を食べている。そんな中、収容所からの声は鳴り止まない。泣き声も叫び声も聞こえないふりをする。しかし赤子はその声と共鳴するように泣き出す。それをあやすかのように母親が「いいぞー泣け泣けー」というような言葉をかける。
 「泣くのが仕事だよ」と言う母親と、そう言われて育つ赤ちゃんの様子は日常でもあり得る情景である。しかし、時代が異なり、年齢が異なり、種族が異なるとその泣くという行為はいつしか誰の耳にも届かない喚きと化す。このシーンで描かれた、赤ちゃんの泣き声と響き渡る収容所の泣き声の共鳴はその世界の格差を物語っていた。それはまた、『傍観者』である私たちが子どもの泣き声を聞くたびのこのことを思い出させる呪いとなっていた。

 アウシュビッツ収容所とヘス一家の隣り合わせで起こる天国と地獄。そしてそれを時代を経て黒いスクリーン上で見る我々傍観者。この三層構造の近いようで遠い距離感が私たちの『関心領域』のあり方を問いただしてくる。


距離感と彼らの生き方

 照明使わない撮影とクローズアップでとらえない撮影。それは視聴者とスクリーン内での”距離感”を演出し、主人公たちの行動を俯瞰的に観せる効果がある。それにより、彼らと同じ時、同じ地を送っているような恐ろしさが私たちを襲い、彼らを通して”自分自身”の生き方を見つめていく。

「私が撮りたかったのは、誰かのキッチンで一杯のコーヒーを注ぐ様子と、壁の向こう側で誰かが殺される様子とのコントラストだった。その両極端の共存なんだ。」

関心領域 THE ZONE OF INTEREST (劇場パンフレット)より

 監督グレイザーが描くのはあくまでもヘス一家の平凡な日常だった。衣食住の生活・家族への愛・夫婦のすれ違い。それは現代の私たちが今送っている生活や理想としている生活と類似していた。だからこそ私たちは『彼ら(ヘス一家)は我々と同じ”人間”である』ということを思い出す。あんなに悲惨なことを行なっていたのは、私たちと同じような生活を送っていた”人間たち”なのだ。そのことを決して忘れてはならない。”人間”という生物へ怒りを向けるとは反対に、そんな人間のどうしようもなさを許容してしまう自分もいる。

「この映画に登場する人々が”自分たちと同じ人間”であることは私たちにとって非常に重要でした。もちろん、それはいい意味ではありません。彼らはあまりに人間的だったのです。」

関心領域 THE ZONE OF INTEREST (劇場パンフレット)より

 ヘスがあそこまで残酷な仕事をするのは家庭の幸せを築き、自分が幸せに生きるためである。最終的には家庭とも離れ自分の道を選んだが、それは責任というプレッシャーがあり、辞めたくても辞められなかったというのが大きいのだろう。それがラストの階段で嘔吐するシーンで描かれている。ヘスもやりたくてやっているわけではない。前述したように、ヘスも我々と同じ”人間”なのだ。あの時代だけではなく、現代にも、家庭のために汗水流している人はたくさんいる。責任というプレッシャーにやられ、やりたくもないことを苦しみながらやっている人はいる。それがいい意味でも”人間”で悪い意味でも”人間”なのだ。そう結論出してしまうと、起きてしまう戦争や虐殺のヘイトを向ける先が”人間”という生物にしかできなくなる。そのどうしようもない事実があまりにも辛く切ない感情として私に襲いかかてきた。


少女の正体

 ヘス一家が収容所に無関心の中一人だけ関心を向けた少女がいた。その少女は真夜中に家を飛び出し、盛り上がった土に林檎を埋めていく。監督は収容所の人々が見つけてくれると信じて行なったその行為を、サーモグラフィーでスクリーンに収めた。この表現方法について
「彼女はヘスの対極に位置していて、眩しい光だった。(中略) 彼女は映画の中で非常に重要な役割を果たしているが、実際には登場人物じゃない。私は彼女をエネルギーとして捉えたんだよ。」と話している。そんな突然の白と黒のエネルギーの表現には観客が異空間へと連れ込まれ、いつしか彼女の存在は聖なる神のような存在に見えてくる。
 実はこの話には元ネタがある。監督がアウシュビッツ収容所の研究でポーランドに行った時、当時12歳でレジスタンス活動をしていた女性の話を聞いた。その女性は当時、外に出て何人かの収容所にこっそり食事を与えたと言う。それが監督の心に残りこの作品に取り入れるきっかけになった。
 しかし、少女のあげた林檎にはひどく残酷な運命が待っていた。
 壁の奥から聞こえる叫び声。それは収容所達が林檎を巡って喧嘩する叫び声だった。その後に聞こえる銃声。林檎を巡って奪い合い、それを見かねた幹部らが銃を撃ったのだと思われる。誰かの命を助けるための林檎が誰かの命を奪うものへと変わってしまった。この林檎の運命は少女の正義感を象徴して描いているが、同時に世界の不条理さも描いていた。人の正義が時には人を傷つける刃物と化してしまうという事実。私が良しとして行なっていることは本当に正しいのだろうか。いや正しいことが正解なのだろうか。そんな疑問を彷彿させてきた。

関心領域

 映画を見ていると、その姿を誰かに見られているように感じることがある。
 ヘス一族の笑い声が響き渡る中、壁の向こうでは誰かの命が奪う銃声が鳴り響いている。その様子をポップコーンを口に運びながら見ている私たち。映画館の向こう側で、この瞬間も戦争に苦しみ罪のない人の命が奪われている。80年前の収容所の人たちの叫び声がいつしか、今の現状で命が脅されている人たちからの助けを求める声に聞こえてくる。我々はそんな声に耳を塞ぎたくなる。何もできない自分に見ないふりをしたくなる。結局『関心領域』を広げたところで自分にできることには限りがある。その事実を人は認めたくないから、ヘス一族のように『関心領域』を狭くして自分の世界だけを見続ける。それが人間として生まれたことの十字架であり、それが変えようもない世界の無慈悲さだと感じた。
 ラストシーン。ヘスは独りでに階段の踊り場で嘔吐する。今まで閉ざしてきた『関心領域』が広がってしまい、その十字架と無慈悲さが一気に襲いかかってきた瞬間だと思える。残酷なことに、『関心領域』は広げたとしても事実を覆すことは誰も成す事ができない。
 我々もこの映画を見て『関心領域』を広げたとしても、やったことはゼロに等しい。だから私たちは唯一できる誠意として、今安全に暮らせていること、そして大切な人と笑い合えていることその現状に精一杯の”幸せ”を噛み締めて生きていこうと思う。


アウトロ

 映画見てたらいろんな思いが出てきたからめっちゃ長くなっちゃいました💦 
 ポーランド行きたいですねーーアウシュビッツ収容所って無料で入れるらしいんですよ。本当に行きたい!
 国内旅行も国外旅行もしたい欲が最近すごくて、友達とめっちゃ計画立ててるんですけど、お金がどんだけあっても足りねーーーー😭😭学生に海外旅行はなかなか簡単な事じゃ無いですよね、、辛い。でも将来はたくさんいろんな所に行って、自分の知らない世界にたくさん触れたいです!

 読んでくれてありがとうございます!
 これで終わりです!バイバイ👋

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?