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異端児も、集まれば強敵

『異端者』
正統とは異なる考えの持ち主のこと
類義語:異端児  アウトロー はぐれ者  はみ出し者 変わり者

私は自分のことを異端児だと思って生きてきた。
なぜだかどこにもハマらない。
馴染む努力もしたし、存在を目立たないように生きたこともあった。

グループに所属しなければ、女子の学生生活は支障をきたす。ある程度の協調を見せつつ、本音を出さずに生活していた。

皆が同じでなければ不安を感じる。人は自分と異なる人間のことをマイナスの感情で受け取るものだと自然と感じていた。

社会に出てからも、同じ年代の女子が多い職場で明るい雰囲気に合わせて生きてみた。1年が限界だった。

先輩にお遊びで顔にメイクをされたことがある。始めにいいですと断ったけれど、謙遜だと受け取られたのか最終的には押し切られた。
楽しそうに私の顔に触りメイクを施し、ご満悦な先輩。
対して私は同意のない行為に吐き気がするほどの嫌悪感を感じていた。

このグループの中には馴染めないなと教訓になった。
私は私でいいやと、本当に嫌なことは上手くかわすという技を身につけた。代わりに請け負えることは積極的に請け負った。プラスマイナス0になるように。

異端者なだけであって孤高であるつもりではないが、他者との一定の距離感をもって仕事をしてきた。

同じ屋根の下で働いてきた科外の先輩と、40歳を越えてから急に仲良くなった。似た考え方と価値観と、新鮮なアイデアが刺激的だった。
新しい上司に共に挨拶に行ったとき、みんな同じ異端者だと打ち明けあい、強力タッグを組んだことがまだ記憶に新しい。


図書館ザッピングで手に取った1冊。ぜひ同じ年頃の方に読んでほしい。

よくよく見れば20年前の書籍。さらに著者はあの有名な「ベルばら」の作者さん。(このまえムスメとアマプラで1話目だけ拝見しました!面白そーと思ったばかり)

池田さんが子供の頃は「漫画ばかり読むな!」と怒られるような時代だったそう。なんだか笑ってしまう。今の「動画やゲームばかりするな!」と怒っている私達となんら変わらない(笑)


わたしは動画を見るくらいなら漫画を読んでくれと、図書館で手塚治虫のブラックジャックを借りてくる。息子が寝る前にどハマリして、次々借りては読んでいる。
手塚治虫の背景を知りたくて、今度は伝記を借りてくる。おー医学博士だったんだ!そりゃ、ブラックジャックを描けるわけですね!と親の私も感心する。


池田さんは漫画を”最高の学校”と言う。
指す意味合いは違うのかもしれないが、私もそう思っている。

漫画ももちろん活字の本も、その物語の中には別な人間の人生がある。
人の人生を気持ちコミコミで感じて、想像を膨らますことができる。
さらに自分自身の人生に投影して、思考を膨らますこともできるからだ。


こうやって漫画やテレビ→ネットやゲーム→YouTubeやSNSと文明が発達していくことで、古いものは淘汰されたり、または根付いて存在を否定されること無く、そこにあり続けるようになる。

まだ不登校が《登校拒否》と呼ばれていた20年前のこの著書のなかで『何かに強いられることを”拒否”している人のほうが、正常で繊細な神経の持ち主なのでは』と称してくれている。

とは言えやはり世間の中で少数である《不登校の我がこどもたち》は、異端児として生きることになっていく。


『いかにして腐らず居られるのか』
『時代の流れの中でどう他者と分かり合うのか』
『興味あるものを弾けるような気持ちのまま追い続けられるのか』


そのうち、同じく等しく生きている人のほうがどうなのよ?という時代になるかもしれない。

異端児のほうが数が多くなるかもしれないし、これからの時代の先端を担っていくのかもしれないよ。

《多様性・主体性・自主性》いま大人の社会で求められているこれらを、果たしていまの学校教育は教えてくれるのだろうか?



現状に不満を感じているなら、それは変化の時

ゲッターズ飯田


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