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感動しないものは、応援したくない~村上龍さんのことばを考えて~

心を売りたい(^-^)それが私達夫婦の努めているところです。
今後ぐりも記事に参加させて頂くこともあると思います。
その時はぐりの明記をはっきりさせますので、よろしくお願いします<(_ _)>

昔、ある所でFIFAに関する雑誌を見つけ、村上龍さんがコメントをしておりました。
「感動しないものは、応援したくない」と書かれてあり、村上さんのご説明もありました。
村上さんはサッカーがお好きなようで、コメントを書いていたと記憶しています。

この言葉は哲学的な深みがありながら、当時その意味はあまりわかっていませんでした。
いろいろと経験や学びを通してから、自分なりにわかったことを記事にします。


・みんな努力している。

努力は人によって程度やちがいがあれど、皆さんされていることだと思います。逆にいうと努力されていない人はいないと思っています。

例えば、私たちが当たり前に行っている呼吸をするということも、命の危険がある人にとっては、大変な努力になることもあると思いますし、トイレに行くことも、買い物に行くことも、その人の状況によっては大変な努力になることはあると思います。

私たちは一概に人の行為の評価を決定することはできない。そう思えるのです。ですから、努力されていない人はいない、といういい方も一つの考えの現れに思えます。

ただ、前向きな意見として努力されていない人はいない、と思っています。

・努力は感動を生む。

村上さんが「感動しないものは、応援したくない」ということばの意味には、今とても感じることは努力が承認されるか、ということだけをいいたいのではなくて、努力の結実は感動を生むということもあるといいたいのだと思っています。

世界が不自由や不平等に満ちており、その条件は誰しもにとっても同じだと思います。これは、大統領でも王でも同じだと思います。ただ私たちの希望の中には、努力によって人々の承認を得ることもできるということなのだと思います。

感動は一つの承認であり、それを生み出すには多大な努力を必要とすると思います。私の考えですが、運よく感動を与えた方は、それは素晴らしい才能だと思いますが、その方の人生観が反映されていないと感じることがあります。

人は感動以前に感動を与えた方の、共感できるところを探しているように思えます。

サミュエル・スマイルズは「自助論」の中で、あの大文豪シェイクスピアでさえ、小説とはまったく違う仕事に貢献しながら時間を見つけて、あそこまでになれたと書いています。また、多くの人が努力の果てに、結果を残したと書いてあり、まだまだ、未熟な私達ぐりぐらは日々、改善しながら努めたいと思っています。

ですので、感動にはその人の人生を通しての、苦労の現れが出ているものに共感されるのだと思います。

・がんばり方によっては、評価されないこともある。

村上さんは、そのことをよくわかっている方なのだと、とても勉強になります。努力してなくても応援しなければならないは、人の善意を都合よく利用した感情への本来望まない訴えだと思います。

努力の仕方は、皆さんちがうのは先程いいましたが、誰しも努力しなければある程度以上の承認が見込めないと考えられるならば、状況の悪さにだけあぐらを掻いているのは、その状態に見合ったものしか得られないと思います。

問題はその人の状況によって、認められない努力があることです。努力されていても認められないことはよくあると思います。

それには、承認する側と承認される側の、努力のあり方の考えに不一致が見られると思いますが、多くは承認される苦労や努力には、見えるかたちでの、社会的評価があるように思います。

私たちは難民の方々や、ホームレスの方々の支援をしてますと、皆さん「見えない」苦労や努力をしています。日々の生活のことはもちろん、明日を含めこれからの将来をどう考えるか? 毎日の「見えない」苦労の中で生きています。そのような人々はたくさんいると思います。

多くの「見えない」苦労や努力をなされている方々には、社会的に立場が不利な方や、プロレタリアート(経済事情含め、文化的な貧困に生きる人々)が多いのです。

・私たちの応援したいこと

私達ぐりぐらは、村上龍さんのことばを改めて考えますと、日に当たるかたちでも、当たらないかたちでも、努力されている方は感動を与えますし、悪い状況に満足してしまっている人には感動を受けません。

ですので、どんなかたちにせよがんばっている人の心の寄り添いができればと思っています(*’▽’)

                                ぐら
                                      



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