腐・豚・NL表記を使うのをいい加減に辞めるのはどうか

表題の三つの言葉は未だに二次創作界隈では名刺代わりに使われているので、インターネットでしょっちゅう見かけることとなる。

これらの言葉を見かけるたびにぐんにゃりとした気持ちになる。その言葉を平然と使う人を、どんなに優れた作家でも、ああ、この人は…と残念な気持ちになる。

腐…腐女子…BL好きであること…男性同士の恋愛表象を好きであること
豚…百合豚…百合(GL)好きであること…女性同士の恋愛表象を好きであること

NL…ノーマルラブ…男女の恋愛

腐、豚は思い切り自虐の言葉だ。
いずれも同性愛を推している自分は腐っている、豚のようだと自分を下げる言葉のように使われる。

これが男女の恋愛を推す際は特段自虐言葉を使わない、こういうところに非対称性を感じる。

更に極めつけが男女がNL(ノーマルラブ)であること。
男女がノーマルなら、反対に同性愛はアブノーマルなのだろうか。

アブノーマルを推している自分たちには自虐が必要という文脈を感じる。
というかノーマルなラブって本当に何なんだ。


男女を推している人の自虐言葉は未だにない。
「キショ仲人」という言葉がバズっていたことがあったが恐らく自虐的意味合いでは定着しないだろう。

男女の恋愛はHL(ヘテロラブ)男女CPという言い換えも可能だ。
赤ブー系のイベントではタグがNLから男女CPへ変更させられた。

豚、腐なんて強い言葉を遣わずに、百合好き、BL好きをストレートに名乗ることはそんなに難しいことなのだろうか。

腐タグを使わずとも、いくらでも検索性を向上させることはできるのではないだろうか。

いつまで自虐を強いられなければならないのだろうか。

創作をしているくせに、その自虐は何かを踏みにじっているかもしれないという想像力は無いのだろうか。

私たちは腐っている、豚だ、とか言っている傍ら、現実の性的マイノリティは社会の中で息をひそめている。

推しカプ結婚したと言っている傍ら、ついぞ結婚がかなわず、死別するカップルがいる。結婚ができないことで、強制帰国を強いられ、引き裂かれるカップルがいる。

そういった鈍感さにうんざりなのだ。
いい加減に意識が、変わっていって欲しい。

赤ブーの同性婚法制化になんのアクションも起こす気もなく行われる、ジューンブライドというイベントもうんざりなのだ。

本当に、うんざりしている。

終わり

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