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ジレンマ

最近人と話すことが億劫になってきた。理由はわからないが、元々の自分に戻ってきたのだと思う。

幼少期を思い返すと、かなり幼稚で自己中ながらも、どことなく冷めた子供だったと思う。斜に構えてはいなかったが、あの歳の子供にしてはかなり冷めていた。

人と話すのが億劫で、友人ではないそこらの大学の人間が虫のように気持ち悪く感じる。明確な理由はわからないが、私はかなり人間嫌いになってきている気がする。同時に、スマホ依存も酷くなってきた。そろそろ、家でスマホを見るのを辞めたい。今もだ。朝なのに充電が無い。

その代わり、あんなに不安定で絶望のどん底だったような気分は鎮まり落ち着いている。静かだ。まだ安定では無いが、随分とましになった。

安定しているのは明確な目標を見つけたから、とも言える。結局目標がないとやる気も起きない。整形の為に私は何十万円と貯める必要がある。働くのは正直嬉しい。

ここ数ヶ月で気づいたことは、私は思うよりもメンタルが強く、自分のことが好きだと言うこと。
元々図太い自覚はあった。又、父親からの否定の言葉に洗脳されていただけで、私は元々自惚れに近いほど私が好きだった。自分には価値しかないと思えるようになってから、楽になった。
自分のことを大好きだとは言い切れないが、嫌いではないと言い切れる。数ヶ月前より物凄い進歩だ。何より私が私の味方で居なくては。

もう一つ気づいたことは、この世界では純粋さと無垢さ、優しさが仇となることだ。優しく純粋な人間は搾取されるばかりだ。私は必要以上に他人に優しくすることを辞めた。私はまだ18で世の中のことを知らない純粋さがあるが、昔ほど浮世離れした雰囲気は無くなった気がするし、昔から私をよく知る友人にも言われた。

ただ、同時に優しい人間に対する悪意や中傷などは未だに許せない。どんなに親しい人間であってもだ。この感覚さえ消せたら、私はもっと生きやすくなる。

キツイ言葉を言われたら言い返せ。馬鹿にされたら馬鹿に仕返せ。今まで自分が傷ついた分私が傷つけてやるのだ。不公平だ。無意識だろうと知らない。そんな気持ちに支配されている。ただ何もしてこない人間に当たるのは違う。私はそこは弁えられておりとても自分の人格が優れていると思う。

ただ人には嫌われたくはない。できれば円満な友人関係を築きたい。ただ私は人には簡単に心を許せない。八方塞がりだ。

とりあえずお金を貯めよう、そう思って私は今日はこのnoteを終わりにする。


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