「論理」と「思い込み」の違い


会話していて判る事。

「論理」と「思い込み」を同義に観てる方々が多すぎる。

順序立てて状況証拠や因果関係から最適解を導き出すのが「論理」。
ところが「思い込み」はやはり知識偏重の「暗記」ベースである。
要は誰かの「受け売り」だ。

思い込みの強い人は知識偏重で自分で考えない。
同調圧力や権威を真に受け、自分の言葉で根拠を示せないのだ。
更に小難しい専門用語を並べれば賢いとでも勘違いしている。
その為に素直で語彙力が弱い子供よりアホに見えたりするワケだ。
こんなんが他人に説教できるワケがない。

彼等は自信満々に四文字熟語や専門用語を誤用するが気付かない。
ツッコミどころ満載なのにやたらプライドが高い。
明らかに難しい単語を使うのが賢いと思ってるのだろう。
これつまり、すり合わせでの是非判断が目的ではなく、マウントだ。
相手を見下し見栄を張るのが目的、みっともない利己である。
考えてるワケじゃなく、承認欲求、

単に自分が「勝ちたい」だけ。


だから感情的になり、会話が成立しないのだ。
そもそも求めている物が違う、試行錯誤で修正できず、だから間違う。
最適解が得られない、大義が無い、整合性が無くダブスタになる。
全てがその場しのぎになり、結果的に失敗する。
そして彼等はその間違いを認められずに、

何故かこちらが「恨まれる」。


いつもの事だ。
濡れ衣を着せられる前に逃げるしかない。

既に結果は見えている。


そういう話。

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