バランスがおかしいヤツ


子供の頃から不安だった。

「何かおかしい」と。


出会ってすぐ、四六時中嫌がらせを仕掛けるクセに、
毛の先程の嫌味を返すと猛烈に怒り狂う様な連中だ。
根っからのワガママ、不公平。

「リスクリターン」が釣り合わないのだ。


自他を同等に観ず、いったん譲歩を見せただけで無限に付け込まれる。
譲歩するほど夢中になって譲歩を引き出し、敬遠しても寄って来る。
まるでこちらを食肉であるように、よだれを垂らしてハァハァと。
結局は毒親も底辺貴族のフレネミーもそうだった。

彼等はモノを俯瞰して観ない、全体を観ない。
ターゲットだけを一点集中で粘着し、そのレスポンスだけを観る。
自分のやった事を棚に上げ、相手の些細な抵抗に怒り狂う。
自分の行為をカウントせず、こちらの反応のみを蓄積する。
切り取りで印象操作を日本中にばらまき、自分の作った因果を無視する。
極論、おのれが放火した家をゲラゲラと指さして笑い、また流布すると。
そんな狂った価値観、モノサシで生きている。

この手の連中は本当に多く、表向きの一方ではマトモな演技をし、
怖くない相手を選んで無限に理不尽を繰り返し、逃げても追ってくる。
自分の異常さを棚に上げ、ヘタレ、ワガママ、ウソつきだのと。
欠席裁判で印象操作のネガキャンに明け暮れ、相対的にマトモを演じる。
同調圧力を生み出し、世論を作りだし、攻撃を止めない。

賢さを、被害者を、有能さを、強さを演じるダシにされる。

永久にコントラストの紐づけをされ、彼等の基準点にされる。
無限の譲歩、忖度して負けてくれるのを期待しながら、
出会った瞬間から人工衛星として付きまとわれ、

知らぬ間に「責任者にされる」のだ。


楳図かずお先生の嫌世的な生き方を観れば、
作品の意味がよく判る。
チキンジョージは誰なのか?
家畜から観た人間とは何なのか?

また古谷実の作風の変化、
人物の掘り下げが途中から変化したのを見れば判る。
例えば前野と井沢の描き分けからだ。

一線を越えた無責任、反面教師。
前野に付いていけなくなった井沢。
罪悪感の発露、責任感。

前野はワザと暴走したのか、そうせざるを得ないのか?
前野は狂人なのかグレてああなってるのか?

原因は本人なのか、ああなる理由があったのか。

毒親も底辺フレネミーも権威主義で反骨心が無い。
強い相手に従順で、弱い相手には暴君、万能の神だ。
自他をアイコン化し、上下で真逆に対応する。
本質を見ず、有利不利と力学で判断し、条件反射で対応する。
無限にウソをつきながら、同時に無限の譲歩を期待する。

世の中には魂の無い人間と、魂の強い人間がいて、
9割のバカとはグラデーションでの多数派であり、
もっとも心ある人間は、最も責任を背負わされ、迫害される。
キリストが磔になるのはその象徴だろう。
マトモであるほど損を引き受け、愚かであるほど得をする。

知的逆さピラミッド。


最後の一人の生産者が、その他大勢を養う価値観はおかしいのだ。
絶対に成立しない筈である。

この狂った天秤を戻さなければ人類は滅ぶ以外にない。
キリストを磔にしない価値観を作らない限り終わるのだ。

トップダウンの権威主義。
バカ程有利な鵜呑みと拒絶の暗記教育が愚民装置になっている。

自他を五分で考える「心の天秤」こそ、安定の原理だ。

他人のルール、法の縛りで無く、自分で考える事が必要だ。
力学じゃなくロジックこそがモノの本質だろう。


そういう話。

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