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勤務時間削減を成果目標の第一に謳わなければならない業態をつくりだしておいて予算も人員も増やさず、質の向上はしたいという場合にできること

生活のほとんどを仕事が占めている状態は不健全だ。
「職員の勤務時間が異常に長すぎる。余白がなければ何も生まれない。そのため時間外の面談などは設定しない。兄や姉の時には受けられていたサービスと同じものが提供されなくても、保護者のみなさんにはご理解願いたい。」
わが社のリーダーの明確なメッセージ。👏
その通り。そこに何の異論もない。

でも、それが組織の最も重要な目標ではつまらない。

学校経営理念の再確認(形式的にではなく深い理解)と、「理念の実現の上でこれは絶対に大事にして!」というポイントを示した上で、削減による負の影響の想定とともに発信されるべきだ。

教員の勤務内容は雑多で、何に注力し、何で妥協するかその裁量がかなり個人に任されている。

会社のように細分化された上司と部下の関係がほぼないのが教員の魅力のひとつだ。
・業務命令という感覚は薄い
・遂行した業務のクオリティの維持や向上はいちいち細かな査定を受けることはない
・個人の力量がそのまま業務内容のレベルになる
・悉皆研修以外に自発的に何を学ぶかで、その人の価値観や個性が形成されるが、個人の力量がダイレクトに生徒や保護者とのやりとりに反映する

だから、すぐに成果が出なくても温かく見守る。うまくいかなくて先生がジタバタすることは生徒にとってもよい経験になる。

何が問題だと言いたいのか。

勤務時間を減らすために、「手抜きOKだと勘違いしてはいけないよね」ということ。

これまで多くの超過時間の中で、あるレベルを達成していた人が、業務仕訳で無駄をなくすという次元では、1か月に数時間の削減が関の山だ。

あれもやりたい、これも調べたうえで資料を作りたいと思うとついつい時間が伸びてしまう。
思い切って方法を変えたら、クオリティに影響なく、時短しながらむしろよいアプローチになった。

こういう小さなブレイクスルー体験は、仕事の面白さのひとつ。

でもそれは、ある程度がむしゃらに働いて、無駄打ちみたいなこともたくさんやって、当たって砕けて泣きべそかいて到達するっていうのが、わたしのような多くの凡人の仕事における成長なのではないか。

スマートな仕事ぶりの下には他人に見えるものも見えないものも含めて、努力と失敗が折り重なっている。

早く帰ることが推奨されるあまりに、頑張らない。手抜きでも指摘もされない。発言や提案をしない。学びを提供する組織で、職員が自らの学びをおろそかにせざるをえない状況を黙認するのはよくないと思う。

①仕事に不可欠な学び
②仕事関連の自己研鑽の学び
③仕事と関係ない分野の学び

採算が明確で、成果と報酬が連動している業態ならば、①の学びの手抜きは一目瞭然だから、コスパが指標となり、モチベーションにもなる。

減給も昇給も降格も昇進もない組織では、じわじわとよくない結果が現れたときに、誰が本気になればよかったのかの押し付け合いになるだけだ。

早く帰ってもいいけど、質は担保するような、超能力を維持するには、自分の余白時間を自分への投資にする③の学びをするという意識が必要だと思う。

勤務時間削減は絶対に必要だ。
それでなければ、若い優秀な人材は入って来ず、わたしのように古い考えから抜け出せず、組織を動脈硬化させるお局ばかりになってしまう。超過勤務の中での本気のぶつかり合いや飲み会がまさにOJTで②の学びで育った世代が老害を振り撒いちゃいかんよね。

教職は、報酬や人事での評価とは全く別の軸で、本当にやりがいと誇りが持てる楽しい仕事だ。

これまでかけてきた、膨大な時間外労働のなかで、かけがえのない結びつきがたくさん生まれて、そのひとつひとつを思うとじんわりと心が温まる。
後悔もたくさんあるが、その子たちが、次に出会った子たちを育ててくれた。
それが教員という仕事から得た財産で、教員をやっていない人たちに、本気で自慢したいような魅力。


コスパ、タイパの時代の教員にはそれを凌駕するようなまた別の魅力が生まれるだろうか。

本質を見失わせないで、業務改善できるよう、十分な財源の確保を切に希望する。

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