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西加奈子さんの2冊『くもをさがす』『わたしに会いたい』…「じぶん」であることってとことん難しい


私の中の2023ベストエッセーは、間違いなく西加奈子の『くもをさがす』だ

もともと西さんの小説が好き。強い。熱い。リアルに生温かい。逃れがたいものに巻き込まれながら、自分であることを見つけていく登場人物のストーリーにあっというまに巻き込まれ、一緒に翻弄され、危うくも、ほっとしたような気持ちで着地する。

そんな西さんが事実、「乳がんサバイバー」となる。しかもコロナ禍のカナダで。病を知った時から手術を受け、がん患者ではなくなるまでの一部始終を、まるでその期間を一緒にいたかのような気持で読ませてくれる作品だ。

カナダとの対比の中で、「日本」について考えた

ちょうどこの本を読んでいた時に、授業で森鴎外の『舞姫』からの夏目漱石『現代日本の開化』という流れで二人の明治の文豪の名作を扱っていた。

西さんは「日本人には情があり、カナダ人には愛がある」(『くもをさがす』p208~の部分を読んでみてください)という感覚を、漱石のあの有名な「I love You」を「月が綺麗ですね」と翻訳したという伝説?(笑)と一緒に語っていて、

「情は、意志を持って、そして尊厳のために獲得するものではなく、気が付けば身についているものだ。目の前に困っている人がいれば、愛を持って立ち上がる前に、なんかもうどうしようもなく(あるいは渋々)手を伸ばしてしまっている。…」

西加奈子『くもをさがす』河出書房新社

と。わたしはこの部分を読んで、「『舞姫』の太田豊太郎よ、やっぱりそれは「愛」じゃなく「情」だったんだね。当時の日本人には(鴎外にも漱石にも)「I love」はわからなかった。たとえ貧しくとも、近代ヨーロッパで育ったのエリスとは異なる感情だったんだ」と膝をうったのでした。

それからおよそ8ヶ月後、今年の1月、

NHK「クローズアップ現代」で桑子真帆さんが西加奈子さんにインタビューしているところにちょうど出くわした


「ああ、西さんお元気だ。」と、とてもうれしく、そしてやはり心にビシビシ響く言葉がたくさんあった。

大事なのは、本当に自分が思っていることなのか、思わされていないかということだと思います。

クローズアップ現代 

自分が何かを感じる前に、自分の尊敬している人が何を言っているかを見て、「そのとおり」みたいに思う。でも、私は自分のことを知っているので、「そんなはずない。絶対最初にこれは思ってへんやろ」って。もっと間違えて、間違えて、間違えて、間違えて、絶対もっと時間かかったはずやんって。でも、最初にそれを見てしまうと、「前からそう思っていた」みたいになる。それがめっちゃ怖いんです、自分がないやんと思って。違えて間違えてボッコボコになってその答えに辿り着くのが自分…

クローズアップ現代

とか…刺さりまくりました。

新刊の小説、西加奈子『わたしに会いたい』を読み終わり、市川沙央『ハンチバック』が頭をよぎる

西さんに、読者のわたしがもともと思ってなかったこと「本来ぼっこぼこになってたどりつくはずの「じぶん」や「じぶん」や「じぶん」」を突き付けられているような感覚で読みました。

これは、昨年の芥川賞受賞作市川沙央さん『ハンチバック』を読んだ時の「突き付けられ感」と似ている!と思い出したのでした。
ただ、ハンチバックの主人公に実感をともなって共感することができない(アンチではなく、経験不足からくる実感の乏しさ)のとは違って、この小説は、「そこにそういう事実があること」の手触りはリアルでした。

「おい、偏見!」(西加奈子『わたしに会いたい』のなかの「Clazy In Love」より)

男性の読者の多くは、わたしが『ハンチバック』を読んだような感覚でしかこの小説を読めない人が多いのではないか…というのは「偏見!」でしょうか。
わたしも『ハンチバック』で痛烈に指摘された「マチズモ」の当事者でありながら、実感が持てないのと同じように、男性もここに描かれた女性たちの当事者でありながら到底想像が及ばず、嫌悪感を抱くこともあるかもしれないなと。

ぼっこぼこにならずに「そのとおり」みたいに思う自分を実感する一冊でした。


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