教員“定額働かせ放題“の仕組みはなぜ無くならないのか
1 「教員には残業代を支払わない」 抜本的改正はなしか
教員の労働環境の改善が社会的な課題となる中で、特に論点となるのが教員の残業代です。
公立の義務教育の教職員については4パーセントの上乗せ分を除いて、時間に応じた残業代は支払われないと「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」(以下「給特法」)定められています。
現在法改正が検討されていますが、教育や法律の専門家によって構成される中教審がまとめた提言によると、上乗せの額が10パーセントに増額すべきとする一方、残業代を支払わないという仕組み自体は残される見通しとなりました。
この内容については批判的な意見も多く上がっています。
中教審の議論を踏まえて給特法の是非について考えていきたいと思います。
2 そもそもなぜ教員には残業代が支払われないのか
今回の議論のまとめによると、給特法の枠組みが残される理由として以下の二つが主に挙げられています。
① 教育は教師自身の自発性・創造性に委ねるべき部分が大きいため、時間による勤務管理が馴染まない
② 仮に残業代を支払うとすると、現行の仕組み上、勤務を監督するのが市町村で給与を支払うのが県なので、時間外労働を減らすインセンティブがない
②について、県費教職員制度のもとでは職務監督は市町村が行うのに対して給与は県が支払うこととなっています。民間企業ですと残業代を出さないために残業をさせないというインセンティブが働くが、この仕組みの元では残業の削減につながらないという指摘がされています。
この指摘については県費教職員制度の意義などについて考える必要がありそうですが今回は保留します。
この記事では①の教師という職務の特殊性について検討していきます。
3 教員の特殊性とは何か
給特法の1条には「教育職員の職務と勤務態様の特殊性」が根拠として述べられています。
特殊性とは何か。中教審のまとめでは自発性・創造性という言葉が使われていますが、この言葉ではまだ腑に落ちない感じがします。
そこで中教審の議事録を見てみるとこのような説明がされています。
「教師は、街を歩いていても、TVや動画配信等を見ていても、日頃の業務に役立つ情報を得ることが可能な職であります。言い換えれば、24時間年中無休で勤務をしているのです。前もって、学校管理職に「今日、映画を観に行きますが、それは教科のこの単元の何を子どもたちにわかりやすく伝えるためです。」などと申請して、学校管理職が時間外勤務の命令を発すること、「昨日、TVを見ていたら○○がこんな話をしていて、それが教科のこの単元のこの部分に活かせるから、見ていた時間帯を時間外勤務として認めてほしい。」などと事後に時間外勤務を申請されても、命令を発することは困難」(斎藤委員・全日本学校長会会長)
少し極端な具体例な気はしますが言いたいことはわかる気がします。
確かに授業準備はいくらでも時間をかけられますし、自分の学生時代を振り返ると学校の授業の中には先生の趣味のようなものもありました。そして先生の趣味にしか見えない授業も子どもにとってはとても重要な経験だったりすることもあります。
そして、そのような教員の自主的な業務をどこまで残業時間としてカウントするべきかということは確かに難しいのかもしれません。
4 旧特法の理屈は本当に通用するのか
では、本当にそうなのか考えてみます。
考えられる論点は3つあります。
①
まず、教員の仕事とは本当に自主的・創造的なものばかりなのかということです。
確かに上で挙げられた映画館の例をみると自主的・創造的といえるように思えます。
しかし、教員の業務はこのような自ら進んでやっている業務だけではなく、やらざるを得ない業務も相当数含まれるのではないかという点を考える必要があります。
例えば親のクレームの対応といった業務が果たして自主的、創造的と言えるでしょうか?
この点については中教審で以下のような指摘がされています。
「教員の働き方は、実際にはなかなか、仕事の進め方とか期間を自分自身でコントロールし切れない。そういう意味での他律性を持った働き方というのが相当程度あると考えられるにもかかわらず、教員の働き方として、自発性、創造性といったところが、ある意味、過度に強調されて、働き過ぎに対する歯止めが十分にかからない事態もでてきてしまったというところもある」(川田委員・
自発性・他律性というのはわかりやすいキーワードです。
そこで教員という仕事の性質についてもう少し深めて考えてみます。
これは私の持論なのですが、特に義務教育は学問的な教育だけでなく、社会保障的な役割も担っていると私は考えています。
学校は勉強を教えるだけでなく虐待、貧困、いじめ等から子どもを守る役割も担っていて、教員の責務は法令上も明記されています(こども基本法13条、児童虐待防止法5条、いじめ防止法8条参照)。
このように教員に課せられた責務が多面化する中で、映画の例のような自主的・創造的な業務だけでなく、必要に迫られて行う業務、つまり他律的な業務も増えてきていると考えられます。
②
次に、一見自主的、創造的に見える業務であっても、それが伝統の名の下の同調圧力により実質的には強制されているといったことも考えられます。特に日本の社会では尚更です。
例えば行事の準備にどれだけ力を割くかは自主的・創造的といえそうですが、現場の教員からしたら伝統としてやらざるを得ないという事態は十分考えられます。
③
そして、他の職業に目を向けてみると、世の中には自主的創造的な業務であっても残業代の対象となっている職業が他にあるのではないかということも考える必要があります。
特に私立学校では残業代が支払われていることとの対比はよく指摘されところですが、その点に対する議論は私が調べた限りあまり見つけられませんでした。
5 旧特法をめぐる報道について
さて、旧特法をめぐる報道について古巣のNHKが文科省から「教員の給与制度の背景や中教審の議論に触れることなく、定額働かせ放題の枠組みと言及するにとどまっていた」との抗議を受けていたので記事を読んでみました。
記事①
記事②
抗議された13日の記事は(記事①)給特法についてだけを紹介する記事ではなく、中教審で議論されたさまざまなテーマについて網羅的に取り扱った記事なので、そこまで給特法について分厚く取り扱えなかったということは考えられます。
そこで、給特法をメインで報じた別の日の記事(記事②)も読んでみました。
議論が噛み合っていないなというのが正直な感想です。
私が記者を辞めて法律を学んだことで得たものはたくさんありますが、一つは言葉の意味や定義にこだわるという姿勢です。特に条文の文言には慎重になります。
給特法をめぐる議論では要約すると「教員の仕事は特殊だから残業代は支払わない」というのが制度の趣旨です。
これに対して反論するならば本当に「特殊」なのか、仮に「特殊」だとしても残業代による時間管理は可能ではないのかといった視点が必要になるはずです。
「労働時間が増えている」という点は教員の労働の「量」についての指摘であって労働の「質」を問題にしている旧特法の趣旨に照らすとずれています。議論の必要性を訴えるきっかけとしては機能するかもしれませんが、本質的な指摘ではありません。
報道の役割は現場の声を届けることだと前の職場では教わりましたが、現状の報道を見ていると現場の教員の声として「勤務時間が長くて仕事が大変だ」という内容が多いです。
確かに「なんとかしなければならない」という世論を巻き起こすにはそれで十分かもしれません。
しかし、本当に問題意識を持って報道としての影響力を及ぼしたいのであれば、もう一歩踏み込んで仕事の「性質」について、現場にはどのような「性質」の仕事が多いのか聞く必要があると思います。
有効な取材ってそういうものじゃないかなと思うんです。
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