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自分が1番愛おしい、他を害してはならない/仏教

お釈迦様がご存命の頃 在家信者に

パセーナディ王とその王妃がいました。


パセーナディ王は

「どう考えても自分より愛するものはいない」と思っていましたが

王妃に聞いても「私もその様に考えていました」

と正直に話されます。

2人は自分達が間違っているのだろうかと悩まれお釈迦様に聞いて頂こうとお釈迦様のもとに向かわれその疑問を話します。


するとお釈迦様は

王よ、王妃よ、貴方達の考えは間違っていません。」

続いてお釈迦様は偈(教え、真理を詩にして
お伝えしたもの)を述べられました


ここから引用させて頂きます。


「人の思いはいずこへおもむく

   されど、いずこへおもむこうと、

    己より愛しいものを見出すことは出来ぬ。

   他の全ての人々も同じであって、

   自己はこのうえなく愛しいのである。

    されば、自らを愛おしむがために、

    他を害してはならないのである。」


こうお釈迦様はおっしゃいました。



自己はこの上なく愛おしい、というのは

身勝手に我儘を通している自己ではなく

仏様から頂いた私達の尊い心または命の事を

指しています。

そんな私が愛おしいと言っているのです。


それはどんなものかと言いますと

身勝手な自分を優先するのではなく

生きとし生けるものを慈しみ、相手が辛ければ

共に悲しみどうしたら救われるのか共に考えたり

何としても幸せになって欲しいと願う心

言うのでしょうか、そういった心を

本当の自己と仏教では言います。

これは普段の私達が感じている私とは
似て非なるものです。


この他を害してはならない、というのは

今お話した本来の自己が私達にあるのだから

他人の弱さ失敗を寛容な心で許し

己を愛するように相手に慈しむ心を持ちなさい


こういうことではないかと思います。



まとめると

本来の心が私達にも有るのだから

相手を傷つけたりしてはならないのだよ

それは

貴方自身を傷つけることになるのだからね。

だから相手の心も愛おしく思いなさいと

お釈迦様は仰っているのではないかと思います。


人は自分の目線で都合のいいように見てしまい

誤解から争いを生みやすい一面もあります。

まず相手がどんな思いでそんな言葉を発したのか

もしくは失敗してしまう理由はどこにあるのか

共に考え悩んでいくその心がこの地球で

生きていくためにやはり必要なことなのです。


てすが

中々完璧にとはいきません

失敗を痛みを知りながら

己の未熟さを知り 人の弱さを知り

相手の失敗を大きく包み込む慈しむ優しさ

この他を害してはならずであり

本来の自己に繋がっていくのではと思います。


今話した本来の自己、即ち

人を思いやる心が私にも必ずあるんだと

知るというのがまず第一歩であると

このお話しを聞いて改めて教えて頂きました。

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