現在日本の課題

日本人の特性は何だと思われますか?

勤勉さ、誠実さ、責任感の強さ、思いやり、そして「和」。
この「和」を英訳することは出来ないと渡辺昇一先生はおっしゃいました。世界で日本人にしかない特性。

我々は皇紀2684年を迎えましたが、その先人により受け継がれて来た私は大切だと思うその特性は果たしてこのまま受け継がれるだろうかと不安でたまりません。

私は幸いなことに、明治31年1898年生まれの父と、明治45年1912年生まれの母に育てられました。
そして小学校の恩師は昭和2年1927年生まれ、豊島師範卒、高校の恩師は昭和3年1928年生まれ、恐らく軍事教練を受けられたと思われます。
また、もう一人の高校恩師は昭和21年1946年生まれです。

高校恩師の軍事教練を受けられたと思われる先生には、散々と殴られました。怖い先生でいつも緊張感がありました。その高校恩師にもう一人の高校恩師は、その教育方針に反対の意見を持っていらっしゃって、実際食ってかかったことがあるそうです。
殴ることには反対。殴るのはそれ以外出来ない。能力の欠如からだとの考えからです。

ある私立高校での話です。労働組合のある学校法人です。
20年位前だと思いますが、ある人事権を持つ教師は、職場面接にて、教師から医師の診断書を見せられて「私は来年度、担任を持ちたくない。このような体調である。」と言われたそうです。
その人事権を持つ教師は「教師の仕事は生徒を指導すること。そう言われるなら他に仕事を探されては」と言われたそうです。

そして、その教師は文科省が「ゆとり教育」を導入するに際して開いた説明会で「反対する」と発言したら文科省の役人は「それなら私立助成金をカットする!」と脅したそうです。その教育は「どうぞ」と返したそうです。役人は無言だったそうです。

生徒を殴る教師は、自分の人生を賭けて殴っていたと思います。その先生は陰で涙を流していたのを見た人がいます。

乃木希典大将の父親は、乃木が子どもの頃、「寒い」と言うと、井戸端に連れ出し裸にして、冷たい井戸水を頭からかけたと言います。乃木はそれ以来、感情を無闇に出すことがなくなったと言います。尋常小学校教科書にあります。

私は親が高齢でしたが、私から現代を見ると、恐怖を感します。私も自分では、だらしかなく育ってると認識してます。それは比較の問題で、先の教師の仕事に対する姿勢は言語道断だと思えます。私にはあり得ないことだと思います。

湘南の児玉神社は無くなりました。
宮城の1000年前の神社は今年無くなるそうです。乃木神社は、世の中に合わせないと神社存続の危機と私には受け取れる言葉を聴きました。

そもそも神社とは、先人の大和民族が生きるために必要として構築されたもの。「和」の原点だと思います。それを迎合しないと存続出来ない。

なぜ、こうなってしまったのでしょうか?
明治維新から始まり、
1945年終戦後からの劇的な変化です。

日本人が日本人で無くなった時。
日本人は、その特性は失われ、ただの極東島国の小人になる気がします。

そうなれば、世界のゴミとしか見られなくなると思います。吹けば飛ぶようなゴミです。

少しずつの変化の蓄積は、いずれ大きな変化になります。
さざれ石の巌となりて

ベクトルを変えるために一緒に考えませんか?

私には、今の日本人は、西洋人が他から搾取して得たものの一部を与えられてそれを豊かさと勘違いして自らを失ってしまっているように思えてしまう。
そう、正しく飼われている。

南方熊楠(1867-1941)の明治政府による神社合祀(神社を整理して国防強化策)に対する意見。
この危惧は正しく今、現実となってると思います。

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