死に物狂いに生きる

HONDAは1970年80年代、戦後創設企業でSONYと並び売上高1兆円を超えたともてはやされた時期がある。

HONDAは、
1906年生まれの本田宗一郎
1910年生まれの藤沢武夫
により、1948年に設立された。

HONDAには
「出る釘は打たれる」ではなく、
「出ない釘は見向きもされない」
と言う言葉がある。

昔のHONDAでは、いかにして各々、自分の存在価値を認めてもらうか必死な雰囲気があった。先輩からの容赦ない反論は当然のこと。

「死に物狂い」と言う言葉があるが、HONDA設立当初は正しく「死に物狂い」であった。

現代を見た時、日本の若者は「死に物狂い」の状態にあるだろうか?

武田邦彦先生が参政党の若手ボードメンバーに積極的に意見を言いなさいと言ったことが、若手にはイジメられたと受け取られたようである。

年長者から若者への注意、叱責、これらを自らのためにと受け取れない若者の発想が現代大きな問題だと思う。
体罰の禁止、これも一つのポリコレだ。

アフリカの諺には
「老人の死は図書館4つを失う事と同じ」
とあるそうだが、人の歴史には知恵が満載だと思う。それから得られるノウハウはどれほど貴重なものなのか?

武田邦彦先生の姿勢が若者の反感に繋がる。
これは日本にとって大きな損失だと思う。

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