見出し画像

「炎上」についてふと考えてみた

スマホ、SNSが普及して10年経ちます。


炎上という言葉の意味も、20年ほど前までは本物の火事と言うことで捉えられていたと思うのですが・・・今では、小学生くらいの小さな子でも、その言葉の意味を知っているのではないでしょうか?


先日、ある本を読みました。


この本によると、炎上が起こってしまうSNSの構造が、過激な表現ほど目立ちやすくなってしまっているとのこと。


確かに、参加人数が何十万、何百万というプラットホームの中で、過激な発言をしてしまえば、例え少数とはいえ悪目立ちは避けられないということでしょう。


逆に、過激な発言をする人が多くなるほど、個人個人の過激な発言は見向きもされなくなるのではないかとも思います。


そう考えると、炎上している状態って、周りが平和な証拠ではないかと。
みんな、自分のことで精一杯の状態で、余裕がない時に、他人の過激発言にまで目を向けてあげる余裕なんてないですもんね。


注目されているうちが華、という言葉がありますが、炎上も、この言葉に近い状態ではないかと。炎上と言われている状態が華。


みんな自分のことに精一杯で、見向きもされず、無視される。周囲からの無関心という状態こそ、自分自身が炎上してしまいそうな苦痛を味わいそうです。


今まで、社会が良くなるきっかけとなるような、炎上ってあったんでしょうか?
現状に不満があって発言した結果が炎上となり、言った本人も特定の言われた人も傷つくだけで終わってしまうような炎上は、なんだか寂しいですよね。


どうせ過激な発言をするなら、そのくらい問題意識を持っているなら、ただ感情に任せず論理的で、社会を良くする炎上があっても良いのではないかと思います。


実際は、炎上がなくても過ごせる状態が一番ですが(笑)


ふと、そんなことを考えた週末でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?