最期

ピッという音ともに部屋にあるタイマーの電気が切れた。なんとなくあっけない終わり方をしていて、生き物が死ぬ時もそういうものなのだろうかと思った。特にここ最近は「死」というものについてよく考えていたから尚更だ。どんなに大成を成し遂げても、どんな功績を残そうともみんなあっけなく死んでいく。そういった意味では世の中は平等なのかもしれない。

卒業が近くなり、学校に行く日数が大きく減少した。あれほど苦痛だった毎日から解放される、と思ったが結局家でやってる事と言えば音楽を聴いて寝るばかり。何か新しいことを始めてみようかと思いつつ、今が幸せな時間なんだと変わらない生活を続ける。自分の生活が蛸壺化しているのは自覚しているわけで、それを変えようとも思わずにただ只管にのらりくらりと生きているのが身の丈にあった生活なのだと自分を信じ込ませている。

最近この年で(?)衰えを感じるようになった。前までできていたことができなくなったり、食欲が著しく低下したりありとあらゆる場面で現れはじめている。このnoteもそうだ。今までは1、2時間あれば書き終わったものが今回は2週間程度かかってしまった。これは非常に恐ろしいことで、自分の中に寂寥感を覚えるようになってしまった。誰かと話してる時にも実感するようになり、これまではMPを使わずとも相手の感情を読み取ることが出来たはずが、最近になってできなくなってしまった。昔、「あなたは大人しい子だね」と言われてからずっと普通のリアクションとはなんぞやと考えていた時期があって、それの結論として「リアクションを大きくすれば普通になる」に至った。結局それは知人から「不快だ」と言われてしまって猛省しているわけだけど。よく自分は見よう見まねで生きているので、誰がどんな反応するのかをよく観察していなければ気が済まない。ただ、一度ついてしまった癖をおいそれと直す訳にもいかず、直った時には相手はそれをもう欲していない状態にあるのだ。だからその時期が来る前に自分は少しでも相手にとって良い人間にならないといけない、これが私の根底にあるのだ。畢竟、私が追い求めているのはそういうものなのかもしれない。

外を見る。もう随分と暗くなってしまった。気がつけばもう2月も半ばになって、冷たい風が頬にあたる日もあるが段々春の陽気が顔を出してきた。大抵の人間は何かに依存したり執着したりしていると思うのだが、そういった意味では私は「自分の最期」に執着しているのかもしれない。自分が最期に何を残せるのか考えてぼんやりと。大体そんな毎日。

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