曇天

 雨が降っている。見渡す限りの曇天模様。少々気が滅入るが、この時期はいつもこんなものかと自分勝手に納得している。台風一号がきているらしい。なんにせよ「一番」はかっこいい。たとえそれが台風だろうが何だろうが「一番」と名がつくものは大抵魅力的なものを秘めている。私はぼちぼち元気にやっています。

 大学に入学してからおよそ二か月が経った。思えばこの二か月は私にとって大きく成長した期間だと思う。一つ目は、死にたいと思うことが大きく減ったことだ。今でも思わないことはないが大体一週間に一回程度で済むようになった。あの頃はひたすらに厭世的でなにもかもに対して苛立ち、呆れる日々をひたすら生きていた。鬱々としていたころに大学へ入学して大きく環境が変わった。本当にやりたいことだけをやりに来た人たちが集まっている、ということを肌身に感じていて、「ここが自分の本当の居場所だ」とか呟いていた。自分は本当に人に恵まれていて、どこへ行っても優しい人に会うことができている。感謝しかない。兎角「自分の個性を前面に出していい」と、そう直感で感じた。自分と趣味が奇妙と思える人にも出逢えた。お陰様で毎日刺激的で楽しいです。ありがとう。

近頃、非生産的あるいは無駄と呼ばれるものを好むようになってきた。例えば帰る時に遠回りをしてみたり、行かなくてもいい時間に学校に行ったり。個人的な意見だが「無駄」とは「余裕」だ。余裕を持っているから無駄なことができる。ここで言う無駄とは決してマイナスなイメージのものではなく、寧ろ愛すべき存在だ。めちゃくちゃ仲の良い隣人のような存在、それが自分が思う無駄というものだ。日々あっけらかんと過ごす中で、無駄を作る事は容易い。それ故にある時ふっと無駄とは何か、余裕とは何かを考えるようになる。高校の頃はそんなことを考えている時間もなく、無駄が好きだと言われたら「なんなんすかそれ」と頭ごなしに否定していたと思う。あの頃は常に厭世的に生きていて、ある意味厨二病的なものを抱えていた。それが元凶で周りから少し遠ざけられていたのだろうけど。

余裕を持ち続けたいなと思う。自分と真反対の意見を受け入れる余裕。歳を重ねるごとに多くの情報を目にし、それに憤ることは数えるとキリがないくらいにある。ただ、よくそいつを覗いてみると既存の手法ではなし得なかった事が可能になってることもある。知らない事を根っから否定することは恐ろしい。氾濫している情報を「自分は関係ないんで」と言って目を向けず、興味を持つことすらも忘れる、そんなことはしたくない。畢竟、多方面への興味が今の自分を作り上げているので、興味を尽きさせないことが楽しく生きる方法の一つなのだろう。

雨は止んで烏が泣いている。どんよりとした空模様にうんざりするが、まぁこれも風流を感じる要素の1つか。そう考えることにしパソコンに向かう。明日は晴れるだろうか。

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