「多世界解釈」について

 以下の文章は、2009年(平成21年)6月1日にmixi日記に書いた記事からの抜粋です。
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 大学の2回か3回生の頃のことです。

 私は我流哲学を構築していく中で、以下のような仮説を立てたことがありました。

 宇宙は一瞬一瞬(この場合、「一瞬」とは時間の最小単位のこと)可能性の範囲のうちで可能な分だけ分岐していって、今現在この自分があるこの宇宙は、その分岐していった宇宙のうちの一つであり、また一瞬先の未来から宇宙は個々の可能性の分だけ分岐し続けていく。それ故に、宇宙は超時空的には唯一のものではなく、時空を異にする「外」には、無数の増殖し続ける別宇宙があり、その中では今現在の自分とは全く違う自分が存在していたり、あるいは既に死んでいたり、または生まれていなかったりしている(パラレルワールドが無数に存在する)。そして宇宙の分岐は今自分が可能な範囲の中で何を為すかによっても生じる。

 ざっとこんなことを考えていたことがあったのです。

 その後この説は、因果に関する考察を進めていく中で、私の宇宙観の主流からは外れていきましたが、思考の軌跡の一つとして長らく頭の隅に記念品のようにしまわれていました。

 しかし、つい先日自由意志について諸賢がどう考えている(考えていた)のかをもっとよく知る必要があると思い立って調べてみると、量子力学の解釈の一つに上に書いた私の昔の説によく似ている「エヴェレットの多世界解釈」というのがあるという事が分かりました。
 所詮数式に基づかないあやふやな考えだったとは言え、「こんな変な事を考えるのは自分ぐらいだろうな」と当時から半分得意な気持ちになっていただけに、ちょっと衝撃的でした。同じ様なことをもっとハイレベルで考えていた人がいたんですねぇ。因みにこの「多世界解釈」は半世紀ほど前に出てきたものだそうで、その後SFの世界でもてはやされたものの、現在この説を取る人は少数であるようです。

 量子力学の世界ではハイゼンベルクの不確定性原理により、物理的な粒子の位置と運動量は同時に観測する事ができないことが明らかにされていているので、現在のところ一瞬後に起こる現象は完全には決まっていないと考えることも可能で、事実そのように考える科学者が多数派だということだそうですが、しかし逆に一瞬後が完全に決定しきっている(従って、遠い未来も全て決定している)という考え方も否定しきれないということのようです。

 一瞬後(そしてその先の未来)が既に決定しているかいないか、それから人間に自由意志があり、それによって宇宙の未来はごく僅かでも左右されうるかという点に関して今の自分の考えを述べる事はここではできませんが(甚だ根拠薄弱な仮説がありはしますけれども)、このことで私の「思考の遊戯」というか「哲学ごっこ」の一つの対象がより明確になった気はします。「多世界解釈」に関する私のスタンスもあまり変わりません(結局…汗)。そしてこの対象に挑むためには更なる勉強が必要であり、殊に全くの専門外でありほぼ無知に等しい量子論の分野にまで足を踏み入れる必要も痛感していることは表明(って、大袈裟ですが)できますね。

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以上までが、mixi日記に上げた記事です。

 この前後から私は、量子力学に興味を持つようになったのです。
量子力学の標準的な解釈は、現在のところ、「コペンハーゲン解釈」といわれるものなのですが、上文中に「現在この説を取る人は少数であるようです」と書きました「多世界解釈」も勢いを盛り返してきて、有力な説になってきつつあるようです。
 そんなわけで、最近こんな本を買いました。


量子力学の多世界解釈(講談社ブルーバックス)

 その名も『量子力学の多世界解釈』という本です。
 まだ最初の方を齧ってみただけですが、面白そうな気がします。難しいだろうなー、とは思いますが、頑張って読みたいです。是非とも書いてあることを余さず理解してみたいものですね。
 この他にも『量子力学の哲学』という本も取り寄せ中です。
 昔は、「とても歯が立たない」と思った本は、買っても読まずに敬遠してきたのですが、今は積極的に挑戦しようという気持ちが勝るようになりました。歳を重ねるにつれ、好奇心や勉強したいという思いが強まってきていることを実感しています。
 もう少し早くこういう境地に達することができればもっと良かったのですがね。
 ちなみに、大学受験の勉強をもう一度やれと言われても、やりたくないです。今の知的好奇心はそれとは別のものですね 笑

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