「ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシーvol3」を観てきました

はじめに(ネタバレ注意)

 というわけで観てまいりました、「ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシーvol3」です。
 ネタバレは一切考慮せずに書きますので、観てない人は今すぐ観てきてください。








 前回もそうなのですが、今回もしっかりと号泣してまいりました。
 後々話すことになると思いますが、話として特別にウェットな展開があるわけではないのです。
 特別に、というと語弊があるかもしれませんが、「こんな展開はじめて見た」とか「予想もつかない展開だった」というようなことはありませんでした。ある意味予想通りで、予想もつくような話であったことは間違いありません。
 だからと言って、それでエモーションを動かされないかというと、もちろんそんなことはありません。王道の展開ではありますが、それゆえストレートに心の琴線を揺さぶってくるのだと思います。vol2のヨンドゥの話にしても、ピーターとヨンドゥと絆をしっかりと描いた上でのあの展開なので、予想外ではないのです。それでもしっかり心を動かすというのは、それだけジェームズ・ガン監督が優れているということでしょうか。
 まあ、「スーパー!」ボロ泣きしていたので、それは今更なんですよね。

物語外のことについて。

 さて、外側の話からしていきますと、MCUのガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシーシリーズは、本作で最後となります。そのように明言されており、監督もDUECの方に行きますし、幾人かのメインキャストも、別の監督で同じ役をやることはないと明言しています。MCUのシリーズの中で終了を明言されたシリーズはなかったような気がします。個人的には色々と手を変えて続編を続けていくよりは、終わるところでしっかりと終わっていくのが、物語としては美しいと思います。
 なので、スパイダーマンもアイアンマンも、ここできれいに収まってほしい。特にスパイダーマンなんて、やろうと思えば他の時空でいくらでも続けられるんですから。この際、東映がもう一回作ってもいいと思うんですよ? それか池上遼一版のハリウッドリメイクを。
 まあ、それもひっくるめて、終わりとしては大変きれいに収まっていると思います。
 MCUの中でも特に好きなシリーズであったため、これが終わりを迎えてしまうことにはやや残念さがあります。
 というか、最近のMCUを観ていると、もう完全に追いかける理由がなくなってしまったな、という所でしょうか。他の作品にこれだけエモーションを動かされる作品はありません。というよりも、MCUと切り離された作品単体と見て、純粋に楽しい、好きだ、と言える作品が、あとはスパイダーマンくらいしかないというのが、今となっては正直なところではないかなと思います。
 勿論、単体で観て面白くないというわけでは決してありません。むしろ、完成度自体はそれなりに高いと思います。同じヒーローものでも、「X-MEN:アポカリプス」は、もう少しこう、ね、という評価ですからね。
 でも、完成度が高いから面白いかというと、そういうわけではない。
 テンポやら脚本やらがグズグズでも、面白いものはあるわけです。勢いで押せるというか。私は常々テンポやら脚本やらに文句を言っていますが、それは他で押し切れる勢いがないから、そういう型式に目が行くわけです。というより、勢いで追込める作品はこのあたりでグズグズしないものなんですよ。

 ちょっと横道にそれますけど、よく「色々評価を上げるけど、面白かったらいいんじゃないの?」と言ってくる人がいます。
 勿論、いいわけがないです。好き嫌いと面白さを混同してはいけません。
 面白さはある程度型式化されるものです。事実、世の中で評価を受けた多くの作品で、テンポがクズクズだったり、脚本がでたらめだったりするものがありますか、という話です。クライマックスで敵味方が向かい合い、壮大なBGMを背景に10分ほど言い合いを続ける、そして死んだはずの味方は実は何故か生きており、最後に大団円を迎える。こんな作品の中に、面白いと評せるような作品がありますか?
 要するに、「好きなものを馬鹿にされたくない」人が議論から「人それぞれ論」に逃げてるだけなんですよ。
 いいじゃん、別に好きなものが面白くなくたって。
 私なんか、サメ映画は大好きだけど面白いと思ったものはほとんどないよ? でも少しはあるよ。そして少しあるその作品は、やっぱりきちんと理由があって面白いし、面白くないサメ映画は、理由があって面白くない。
 好き嫌いと、良い悪いを混同するのは、本当に迷惑なのでやめてほしい。それは真実に対しても無礼であるし、何より、映画を製作しているすべての人、面白い作品を作った人、つまらない作品を作った人その全ての人に、大変失礼な思想です。

 閑話休題。
 まあそんなわけで、完成度は高いと思いますが、好きと言えないMCUの方々の中で、明確に好きと言えるガーディアンズさんです。
 逆に、作品としてはイマイチでも、魅力的なのはDCEU、転じてDCユニバースの方だと思っています。これは単に私の好みですけどね。単純に「ダークナイト」に脳がやられただけなのですが。でまあ、それの監督をジェームズ・ガンがやってくれないかしら、という妄想を抱いていたのですが、それが現実のものとなったので、今後のDCユニバースはとても楽しみです。
 ちょっと話が散らかしましたが、そんな色々な感情でガーディアンズを見送っていきました。

良くない?点

 まず、あまりよくなかったかな、という点からです。とは言えわずかですが。
 物語の軸ですが、今回「ロケットの過去と復活」が主軸となっているのですが、それ自体がガーディアンズの最終回ととらえるには、やや収まりが悪いですよね。ガーディアンズたちの一つのエピソードとしては、十分に盛り上がれる展開ではあるのですが。一応、ピーターが抜け、後任のリーダーにロケットが収まるということで、ロケットの物語を描くのは間違いではないと思うのですが、だとしたらピーターの物語が不足しているように思います。
 あとは、もう一つの話に関わってくる、ピーターとガモーラの関係、そして、アダム・ウォーロックとの物語も、やや消化不良のように思えます。
 これらから推測すると、少なくとも土台に関しては、本作が最終回となることを意図していないものになるのではないかなと思います。
 これは憶測でしかないですが、その憶測を前提に話をしますと、ここからガモーラとの話、そしてアダム・ウォーロックとの因縁を経て、シリーズの大団円を迎える予定だったのかな。なのでそこのたたみ方が、やや拙速だったように感じます。ガモーラとの関係は何も進展がないし、アダムはあっさり仲間になってるし、ピーターがふらりと消える動機が薄かったりします。
 まあでも、それは飲み込みべきなのかも知れません。それを含めて上で、やはり最後の物語として満足のいくものであったことに変わりはありません。「次にも続くんじゃ」でこの展開なら、それはちょっと、ってなりますけどね。

良かった点

 次に、自分的に「よい」と思ったところですね。
 まあ細かく上げるとキリがなかったりします。
 ロケットと友達との絆であったり、ネヴュラがドラックスの本質に気づくところだったり、クラグリンの見せ場にヨンドゥが出てきたり、もう「ヨンドゥ」の字面だけで泣きそうにはなるんですが。
 そんな個々の事象を上げるとキリがないのですが、やっぱりこの映画のエモーショナルな部分を大きく支えているのは、音楽だと思います。それも、BGMではなく、歌唱のある曲です。楽曲の歌詞に、その場面で流れる誰かの感情、みんなの感情を乗せることで、多くを語らせることなく、雄弁に物語を描いているのだと思います。歌というものそのものが、多かれ少なかれ感傷的なものです。その歌に乗せ、感情たっぷりに歌いあげられるそこに、キャラクターの感情が乗っかるのです。たとえ無表情であっても、たとえ怒っているように見えても、歌は露骨に感情を現してしまうわけです。それによって、過剰な演技やセリフ、脚本での捕捉をすることなく、且つダイレクトに感覚に訴えてくるのではないかなと思います。
 そして、この歌は決して我々観客にだけ聞こえているものではなく、劇中でキャラクター達もその耳で聞いているものだというものは、何度も示唆されます。全てが全てではないですが。最後のノウウェアでのダンスシーンですが、ロケットは歌詞の意味を分かってかけたのだろうか。
 そういった、歌詞と感情とのリンク、そして音楽が「実際にそこにある感覚」が、エモーションを掻き立てるのではないかなと思います。

 逆を言えば、脚本自体はそれほど特異なものではないのですよ。ロケットの命が危ういので、それを解決するためにパスコードを手に入れる、しかしそこにはロケットを改造した敵が表れて……。という流れですね。
 脚本の意外さはなかったというのは正直なところです。ロケットもここで死んでしまうことはないだろう、友達はロケットを引き留めるだろうということは、半ば確信をもって見ていました。もちろん、それで感情が動かされないというわけではないです。逆に、そういった王道の展開が軸としてあればこそ、枝葉であるコメディタッチな部分や、ガーディアンズのユニット感を楽しむことができます。これは1作目から変わっていないのです。
 難しいのは、王道の作品は評価を落とすことはないですが、しかし大きく上げることもありません。王道をなぞるだけでは、多くの人を動かせる作品にならないのは事実です。その中で、王道を踏襲した上で、ここまで心を動かせる作品を作れるということは、やはり「スーパー!」で下した私の評価は間違っていなかった、というわけですね(不遜)

 あとはラスボスとの決着ですね。これは確かに、意外というか、面白かったかもしれません。全員でラスボスをボコボコにするという、威厳も何もない終わらせ方です。もちろん、ガーディアンズの見事な連携が見られたので大満足です。

 あとは、スタッフロールも感動的でしたね。1作目からの思い出のシーンが並べられるのですが、その中にケヴィン・ベーコンとスタン・リーがいたのが。本当に物語の全てが終わってしまうのだな、と。
 そして、ポストクレジットを経て、BGMが「Come and get your love」に変わるのもとても良かった。ガーディアンズ1作目のオープニング、壮大さを思わせる流れを経て、成長したピーター・クイルとともに流れる、この楽曲。そしてでかでかと表示されるタイトル。あのOPもいまだに語り継がれるべきOPだと思うのですが、そこで流れたこの曲で締めくくられるのが(実際にはもう1曲ありますが)、やはりとても良かった。

まとめ

 そんなわけで、基本的には文句のつけどころのない作品でありました。もちろん、全てが全て完璧であったわけではありません。それでも、そういうのを忘れられるほどには、楽しい作品でした。
 そして繰り返しになりますが、ガーディアンズが終わり、ジェームズ・ガンが離れるなら、もうMCUを見る理由が本当に無くなってしまったのですよね。
 とりあえずはピースメーカーを観ないと、と言ったところでしょうか。

 あと最後に気になったことを。
 邦題ですが、「vol3」とするなら、まず前作の「リミックス」にしたことをきちんと謝罪しろと。あと「マイティ・ソー バトルロイヤル」も正式に謝罪しろと。

ところで

 あと、ジェームズ・ガン監督がMCUを離れる理由についてですが、本当のところは語られていませんが、やはり一度解雇された件が尾を引いているのではないかと思います。
 あの事件ですが、要するに、過去の発言を過剰に指摘するという、保守派にしてみれば「人道的」な方法にディズニーが日和った結果、臭い物に蓋をするという、非常に日本人的な判断でクビにした、ということなんですよね。
 その後俳優やスタッフ、ファンの声もあり、これまた日和る形で監督を戻したわけですが、その間に一つ居場所ができた。であれば、またいつ保守派に攻撃されてディズニーが日和るかわからないので、じゃあCNNにつながりがあるワーナーと手を組むのが安全だよね、というのは妥当な考えだと思います。
 要は、ディズニーのスタンス故に、ガーディアンズは終わらされた、というのは事実に近いのではないかなと思うのです。そして、ガーディアンズ無き後のMCUに、それをカバーするだけの魅力があるかなと。少なくとも、他の作品が持っている空気感とはまるで違うものがガーディアンズ(と、あとスパイダーマン)にはあったわけで、それを自ら捨てることになった、この影響はどのように出てくるのか。気にはなります。

 まあ、スターウォーズ見るので、あまりディズニーへの批判はしたくないんですけどね……。

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