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大人になるということが…

先日は成人の日でしたね。
新成人の皆さま本当におめでとうございます。

自分の成人式はもう結構前で記憶が薄れてきているな。
私は振袖を着ることは心から楽しみにしていたので
成人式には行ったけれど、同窓会には行かなかった。
会場の周りでも出来れば知り合いに会いたくないなと思いながらやり過ごした。
それでも声をかけてくれた子と写真を撮って、その写真を見て絶望したりした。
どうして私はこんなにかわいくないんだ??って

同窓会に行かなかったのは、この先多分会うことない人たちに会って気を遣うの疲れるなと思ったから。
別に中学時代は友達もそれなりにいたけれど
今になってみると本当に仲良い子っていなかったんだなと思う。
そう思えるのは今現在、
心から尊敬できる大好きな友だち達がいるからだな。
いつもありがとう。

けれどあの日を振り返る度に
同窓会も行っておけばよかったなと思うのだ。
多分行っても、やはり変に気を遣って疲れたと思うだろうけれど。
それでも成人式の後の同窓会なんて人生で1回しかなくて、もう2度と経験できないのだから。
気疲れくらいしておけばよかった。
でも当時の私には酷く馬鹿らしく感じて、行けなかった。
だけどそれって全ては私の自己肯定感の低さのせいだと、今ならわかる。
卑屈になってしまっていたんだろうな。

中学生、高校生、大学生と私はとにかく自己肯定感が低かった。
社会人になって数年、今はどちらかというと自己肯定感はかなり高い方なのではないかと思う。
今だって可愛いあの子に憧れるし、かっこよく生きてる彼女のようにはなれないけれど
自分のダメダメなところも、この容姿もぜーーーんぶひっくるめて受け入れられるようになった…!
だってそれでも私は逞しく生きているし、
この小さな離れ目だって、ストレートになれない髪の毛だって、ゴツゴツの女の子らしくない手だって、
「もっとこうだったらいいのに」とは思うけれど、
これはこれで私らしくてかわいい!!!
そりゃあ絶世の美女なんかじゃないけれど、
そこそこまあまあ悪くない!って思える。

でもふと考えたのだけれど
自己肯定感の低さって恐らく
誰かと比べた時の劣等感とかから来ていたはずで、
そう考えたら今はあの頃の向上心みたいなものを失ってしまったんだろうか…と

そうポツリと彼に話したら

そんなことは関係ないって、もっと他に大事な事があるって気付いたからじゃない?
成長してるんだよって
当たり前の顔して言ってくれるので
私はまた救われてしまったりした。

彼のことをもっと好きになったし、
自分のことだって、
もうちょっとだけ愛してあげられそうだ。

大人になるということが、
こういうことだったらいいなと思うし
私にとって大事な人たちにとっても、
そうであってほしいと心から願っている。

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