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フリマアプリ小説(資産家 真知子編) 第一話『利他』

 朝、真知子がポストに新聞を取りに行くと、表紙に犬の写真が載ったパンフレットが入っていた。

「もうそんな季節なんだわ」

 真知子は表紙の写真を眺めながら一人呟いた。パンフレットには『アーク 夏号』と書いてある。

真知子はリビングのコーヒーメーカーでモカブレンドを淹れた。カレンダーを見ると、三月のままになっていた。カレンダーを一気に七月までめくり、壁にかけ直した。七月はひまわりの大輪と共に子犬が写っていた。コーヒーが抽出し終わると、新聞とパンフレットを再び手に取り自室に戻った。

 彼女の部屋は二階にある。部屋からは庭の紫陽花が咲いているのが見えた。紫陽花は土の成分がアルカリ性か酸性かで花の色が変わる。今年の紫陽花はピンク色だった。ピンク色の紫陽花が咲いたのは、酸性雨のせいかもしれないと思いながら真知子は再びパンフレットに視線を落とす。真知子は最後の方のページを開いて、金額を確認した。今回は三万円必要なのか。アークは捨て犬や捨て猫の保護を行う団体である。寄付金の使い道は団体で保護している犬や猫たちの医療費や餌代に充てられると書いてある。特別枠の寄付金も設けてあり、先月の豪雨で飼い主を失い保護されたペットたちのケアにも使われるとも書いてあった。

 真知子は引き出しを開けて、黒い紙で出来た四角い箱を十五個取り出した。真知子はそのうちの一つからケースを取り出した。ケース自体の写真を撮り、ケースのふたを開けると色鮮やかな三色のアイシャドウが見えた。それぞれ全く別の色である。アイシャドウの表面には刻印がしてあり、その上から透明のフィルムが掛けてある。真知子はそれが使用されていないことを確認した。枠にわずかについているアイシャドウの粉をティッシュで拭い、また写真を撮った。また蓋を閉じた。その作業を十五回繰り返した後、真知子は軽く伸びをした。まだ引き出しの中には、十五個取り出してもなお、アイシャドウがぎっちり詰まっている。

 このアイシャドウは全て真知子が三十年前に設立した会社のものである。真知子は最初の子どもを産んでからすぐに離婚し、この会社を作った。近頃は会社が大きくなり、真知子の会社の製品は近頃百貨店にも販路を拡大していた。引き出しに入っているアイシャドウは百貨店のバイヤーに試供品として用意したものだったが、結局渡せなかったりして真知子が持って帰ってきたものだった。引き出しの中にはアイシャドウが溜まりに溜まっていた。百貨店で、このアイシャドウは一つ大体七千円前後で売っている。クリスマスなど季節ごとの限定品などは一万円前後で売られている。

 真知子はスマホの画面を眺め、全部のアイシャドウの写真がきちんと撮影できていることを確認した後、それぞれの製品情報をフリマアプリに入力していった。真知子のフリマアプリの使用歴は長い。会社の女性従業員に教えてもらって以降、不用品を売ったり、欲しいものを買ったりしており、総取引件数は二百以上にもなる。ヘビーユーザーになりつつあった。

今回、真知子の出品しようとしているアイシャドウは新品だったが、三千円で売るつもりでいた。アイシャドウを片付けたいと思っていたので、即座に売れる方がありがたいのである。以前、新品でも一つ三千円で売ると出品してから二時間ほどですべて捌けた。手数料と送料を合わせると大体千円くらいなので、結局真知子の手元に残るのは二千円ほどである。目標額の三万円のためには十五個売る必要があるのだ。

 興味で製品名をフリマアプリ内で検索してみたところ、くっきりとブラシの跡が残っているような使用後の商品でも、三千円くらいで出品されていた。通常の値段の半値以下ではあるが、何千円単位で売られていることに真知子は安堵した。使いかけの化粧品などは、不衛生と思われるため店では相手にもしてくれないため、普通なら捨てるしかない。しかし、フリマアプリだと商品になる。そして中古品で売れるということは真知子の会社の商品の人気が高いことを示している。フリマアプリを覗くことは市場調査にもなるのだと発見してから真知子はフリマアプリを重宝するようになった。

 真知子は準備が整うと早速出品したが、やはり即座にどんどん商品が売れていった。思い通りに売れていくと面白いものである。売れたアイシャドウを緩衝材でくるみながら、真知子はうきうきしていた。

 真知子は、ふと以前に長女もフリマアプリにハマっていると言っていたことを思い出した。長女がハマると言っていたことも分かると思った。
 物が売れると、なぜか自分自身にも価値があるように思えてしまう。中毒性のある感覚に、真知子は苦笑した。会社の黎明期に商品を手売りしていた時のことも思い出した。当時は、商品を赤字ぎりぎりまで値下げしても見向きもされなかったため、ごくたまに気に入ってもらえて、一つでも売れるだけで嬉しかった。

 フリマアプリは手売りやフリーマーケットと違い、相手の顔は見えない。だが、メッセージのやり取りをするのが慣例となっているので、たまにお互いに時間があれば商品についての話をすることができる。一度、ブランドのハンカチを出品した際、購入者の名前の中に『@断捨離中』とあった。断捨離中なのに新たに購入していることに矛盾を感じながらも、特にその点には触れずに、簡単なやり取りをしていた。すると、「お恥ずかしながら、断捨離中なんですが、探していたものだったので即買いしてしまいました」と送られてきた。そこから会話が弾んだ。そのハンカチは映画とハンカチのブランドのコラボレーションで売り切れていたらしい。真知子はそんなことは知らずに出品したが、相手に喜んでもらえて嬉しかった。



「ねえ、お母さんこの家って売れるものないの?」

 翌週、家に長女の美佳が孫を連れて遊びに来ていた。

「え?」
 真知子は孫を抱きながら聞き返した。美佳はリビングの引き出しを勝手に開けている。

「前言ったでしょ、私フリマアプリにハマってるの」

「ああ、確かに言ってたわね」

「で、ないの?」

 真知子はたかるような口調の我が子に困惑していた。

「あるにはあるけど……」

「じゃあちょうだいよ」

「何に使う気なの?」

「お金は全部沙良(さら)のために使うのよ」と美佳が得意げに言った。真知子は少し悲しげな表情をした。

「そのうちの、少しでいいから寄付したらどう?」

「え、そんなの嫌よ。将来沙良に好きなことをさせてあげたいんだから。留学とか塾とか。お金はいくらでも必要なのよ。なんで他に人のために使わないといけないのよ」

「お金はね、ありすぎても良くないの。それに、お金には人の恨みや妬みが付いてきちゃうのよ。お賽銭箱に『浄財』って書いてあるでしょ。あれはお金を清めるという意味があるのよ。あと、托鉢のお坊さんにお金を渡すことを『喜捨』と読んだりするでしょう。お金はため込んだり、自分や家族のために使ったりするだけではなくて誰かのために使わなきゃ。お金は天下のまわり物ともいうしねえ。そんな気持ちじゃないと、お金持ちにはなれないわよ。
 私は、お金がなかった時も、どうしたらアークにお金を寄付できるかばっかり考えていたのよ」

 美佳は真知子の発言を鼻で笑った。

「アークってペットの保護団体でしょ。ペットより人間を救いなさいよ」

「人間にも、もちろん寄付してるわよ。居場所のない女の子たちの保護をする団体や国境なき医師団とかね」

「私が募金してもらいたいくらいよ」

「あなたはそんな余裕のない生活はしてないでしょ」

 真知子はあきれ果てた。美佳夫婦は共働きなので、世帯収入はそこそこあるはずである。少なくとも、親の家を物色しなくても良いくらいには。

「ねえ、本気で言ってるの?少しも寄付とかしないつもり?」

「そんなの、私の勝手でしょう」

「フリマアプリの売り上げは元々要らないものを処分した後のお金でしょ。なかったものと思いなさい」

「それはお母さんがお金に余裕があるから言えるセリフよ」

「どういう意味よ」

真知子は思わずむっとして言い返した。

「そもそも普通の人はフリマアプリに出品したくても、家の中に売れるようなものがなくて困ってるのよ。あるのは業者さんでも買い取ってくれないようなゴミに近いようなものばっかりなのよ」

「そんな人もいるでしょうけど、全員が全員そういうわけではないじゃないの」

「お母さんの言う通りかもね。でも、きれいごとを言っても、結局は持てる者から持たざる者へものが流れているだけなのよ」

 真知子は絶句した。だが、美佳の言うことも正しいかもしれないと思った。同時にこのような発言をするまでに、彼女の心がすさんでしまっていることに非常に驚いていた。子育てに疲れてしまったからなのか、真知子には分からなかった。我が子の口調は荒々しく、思わず孫の耳を塞いだ。美佳はそっぽを向き、家の中を再び漁り始めた。

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