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ありの~ままの~

 学校で自習(といいながら遊んでるだけ)をした帰り、僕は児童館に寄った。お世話になっている先生に呼び止められた流れでお邪魔をし、小中学生とドッヂボールで小一時間ほど遊んだ。運動部に入ったことの無い僕は同じチームの中学2年生に弾速で負けるという醜態を見せたが、そんな経験は児童館に来るたびにしているので今更なので気にしない。
 児童館=小学生のものという固定観念を持っていたので、中学生の時は全く足を踏み入れなかった。小6から流行ったコロナウイルスの影響もあるし、僕が遠くの高校に行ってしまって旧友と会うのが後ろめたく感じたというのもある。
 高校生になって間もない頃、小学生の頃に児童館で良く育てられた先生に「お久しぶり!」と声を掛けられた。少しドキッとしたが、意を決して児童館に入ってみることにすると、そこには中学生や高校生が思ったより多くいた。居場所を感じた。もしこの時あたり一面が小学生だったとしたら、恥ずかしさで逃げ出して慌てるあまり横断歩道で事故って死んでたかもしれない。そんな訳ないけど。
 楽しい時間を過ごせたという成功体験を知ると生き物はそれに囚われてしまうようで、僕は今に至るまで何度も児童館に立ち寄っている。他人の目など気にしてはならない。一応将棋クラブの先生という大義名分で、精神年齢が小学生だという批判の免罪符ということにして欲しい。大抵先輩なり中学生なりがいるので、気まずい思いをすることは少ないので別に良いのだが。

 僕が小学校の同級生と会わなかった3年という期間は本当に絶妙で、仲が良かった友達でも名前は覚えているかどうか微妙で、それ以外はほとんど初対面のようなものだ。それを無理やり繋げてくれるのが児童館という場所なので、それに関しては本当にありがたい。それでも嫌われるリスクは多々あるので言葉遣いや言動には細心の注意を払わなければならない。特に僕の場合は「頭いい学校に行って調子にの乗ってるイタイ奴」というレッテルを貼られがちなので、嫌われたダメージがデカいのだ。
 今のところ相手の言動には僕への拒絶は感じ取れないので、とりあえず最低限の人間性はクリアしていると信じたい。でもこれからコミュニケーションを大量に浴びるような関係となると、頭の回転の遅さがネックになってくる。それをどうやって克服するか……今後の課題である。
 とはいえ児童館は本当に居心地が良くて、ありのままの、汚い自分を曝け出しても許されるようなそんな感じもある。それを感じ取って無意識に顔がほころんでいるし、口も軽くなっている。脳内でドーパミンが多量にフィーバーしているので、児童館では自分を繕うことは難しいでしょう。あとは友人や児童館が僕を許容してくれるか。祈るしかない。
 児童館はコミュニケーションの練習だけでなく、単純に自分が楽しめるような、そんな居場所にしていきたい。今まで先輩には二人出会ったが、小学生に負けないくらい児童館を楽しんでいて、それに憧れる気持ちもある。前を向いて生きていこう。

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