【視線(Look!)】


『視線(Look!)』

人は覚えたことを思い出そうとするときに自然と両目をぐいっと持ち上げる。
人前でプレゼンする時も次のセリフをふと忘れて、原稿を思い出そうと上を見て「あの〜〜」なんて苦しい間ができたりする。思い出せない、思い出したい、う〜〜んとか言って、脳裏のカンペを見ようとしてるのだろうか。当然上を見ても脳は見えないし、そもそも脳は記憶を文面で書庫みたいに保管してるわけでもないハズだ。それでも人が思い出したくってしかたないときに自然と目が上がってしまうことは可愛い、愛らしいことだと思う。

他にも、助けを求めた時にふと友人をちらっと見ること、明るい金髪(金すぎて白!)がなびけば目移りしてしまうこと、友達と話していたって好きな人に目を配ること、どれもこれも日常に点在する「愛くるしい視線」である。
「ぐりん」だとか言って眼球が動く音をつけたくなるし、側目をする描写で一コマ挟みたくなる。


街を歩く時に犬が散歩していたら、すれちがうぎりぎり、ぎりぎりまで犬を見てしまって、でも首を余計に動かしたりしたらきまりだって悪くなってしまうからやはりそのぎりぎりを厳守して、黒目が白目の端まで追いやられている。力んだ黒目をピンと弾けば逆方向にふっ飛んでいきそうな程に。(モンストみたいに)
こんなとき、自分が馬なり草食動物になれたならば、ありあまる350°の視野を持っていたら困ることなく犬を堪能できるのになあと思う。でも。なにか自由に動物になれるなら馬じゃなくて、断然犬になればいい。犬になって、おんなじ低さの目線で、正面切って目と目(犬の)を合わせるのだ。臆面なく好きな犬と見つめあって、今日の天気の話だとか飼い主のホスピタリティなんかの話をする。ウチ全然そんなんじゃないよ〜、みたいに話を展開してもいいだろう。

今日見る犬同士の逢瀬も、きっと元ヒト同士の会話なのかもしれないなんて思ったりする。もしかしたら犬になった自分が出会う犬も同じ気持ちを持って変身したヒトかもしれない。そしたらどうしよう。そろって動物好きの共通点から、好きな音楽バンドとか来週末にいっしょに映画見に行きませんかとか誘ってみる。
今日もどこかで、ずっと低い場所で犬と犬が、あるいは犬とヒト、つづまってはヒトとヒトがランデヴーしている。ボーイミーツガールはどこにだって。

春は出会いの季節だし、
夏はもっと!出会いの季節なのだ。

全ては夏休みのように幸福で輝いている。



ーーーーそんなことを思いながら、今日もいくつかの犬を通りすぎて散歩していた。青すぎる空を、視界にはみ出る帽子の黒いつばを持ち上げて、見上げた。ちょうどいつかの、甘い記憶を思い出すときみたいに。


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