見出し画像

短編『アート』

 父親の古い知り合いで、津田というアーティストがいる。アーティストと言ってもミュージシャンの類ではなく、現代アートに携わる男だ。 

 ある日、バイトから帰ると父親と津田さんがリビングで酒を飲んでいた。軽く挨拶だけして自分の部屋に引っ込もうと思ったが、少し一緒に飲まないかと言われ、特にやることもなかった僕は、一緒に飲むことにした。

 他愛もない世間話ばかりだったが、自然と話題が現代アートになった。

「最近は特に、大なり小なりインパクトに頼らないと注目してもらえなくなってる」

 津田さんは、少々寂しい口調で現代アート界について語っていた。

「君は現代アートをどう思う?」

 僕は現代アートに疎く、何度か現代アートと呼ばれる作品を目にしたことがあるが、それらからメッセージを感じ取ったことは一度もなかった。知ったかぶりできるほどの知識も持ち合わせていない僕は、正直に、そう返した。

「近々、個展を開くんだよ。よかったら観に来てよ。メッセージを感じ取れなかったって言ってたけど、そもそも現代アートって、感じ取ってもらうのは大切なんだけど、アーティスト側がきちんと補助線を引きながら説明するものだと思ってるからさ。なんのコメントや解説も付けずに、作品だけドーンと置いて、お客さんの感想を鼻で笑いながら、分かる奴にだけ分かればいい的なアーティストもいるけど、あれは現代アートじゃない。と、僕は思ってる。まあ、大学やバイトも大切だけど、知らない世界から刺激を受けるのも、いいもんだよ」

 津田さんと話をしているうちに、現代アートに対するハードルが下がった感じがした僕は、個展に行くことにした。


「村上隆が言ってたよ。アートの定義は、芸術大学を出ていることだって。それくらい曖昧な存在に成り下がってるんだよ。アートって奴は」

 超絶気持ち悪い。西澤は、さも全てを知っておりますという顔をして僕に言った。

 面倒臭い奴を連れて来ちゃったな。バイト先の先輩である西澤という男は、元々、理屈臭くて周囲の評判は良くなかった。僕が現代アートの個展に行くという話をバイト仲間経由で耳にした西澤は、俺が色々教えてあげるよ、といった上から目線の言葉を並べて、僕に付いてくることになった。西澤が言うには、あくまでも何も知らない僕のために付いてきてくれたらしい。気持ち悪い。

「西澤さん、ここですね」

 ギャラリーは駅前の雑居ビルの二階にあった。広さは一般的なコンビニくらい、入口で受付を済ませた僕らは中を見渡した。客は十人ほどで、雑居ビルの二階という場所でも結構入るんだなと思った。

「へぇ~、結構いい感じだね」

 やっぱり気持ち悪い。面倒臭いオーラ全開の西澤が、面倒臭い口調で言った。だが、西澤の言う通りで、津田さんの作品は、強い個性を押し付けてくるものではなかった。この空間に自然体で立っていられる感覚だった。

「そうですね」

 内装や作品の配置なんかも、いい印象に繋がっているのかもしれない。壁三面には、写真に絵を書き込んだり、写真を加工した作品。残り一面は、津田さんの略歴や過去の作品を紹介するものが並べられており、フロアにはコンビニに置いてあるくらいの大きさのコピー機が、展示台として二つあった。二つある展示台のうち、片方には作品が載っておらず、津田さんの解説コメントが書かれた紙だけが置いてあった。

「おお、よく来てくれたね」

 スタッフルームから出てきた津田さんが、僕に気づいて声をかけてくれた。同時に気持ち悪い西澤にも気づいた。

「友達を連れて来てくれたんだね」

「いえ、バイト先の先輩で、」

 僕の紹介を制止した西澤は、慌ててカーゴパンツのポケットに入れていた、色々なものが入ってるせいでパンパンになった気持ち悪い長財布を取り出し、何も作品が載っていない展示台の上に置いて中を探り出した。ビンの中に入っている木の実を木の枝を使って取り出そうとしているチンパンジーのようだった。いや、西澤を例えるのにチンパンジーを出すのは、チンパンジーに申し訳ないな。チンパンジー、ごめん。

 バタバタしながら西澤は、やっと一枚の紙を津田さんの前に出した。どうやら名刺のようだ。

『自由人 西澤裕介 080-2995-☓☓☓☓』

 宇宙一無駄な情報が詰まった紙だった。しかし、津田さんはアルカイックスマイルを崩さずに名刺を受け取った。

「ほう、自由人か。自由人の心を掴めるような作品を創り出せていればいいんだけどね」

 そう言いながら、自分の名刺を西澤に渡す津田さんの姿を見て、完璧な大人だと思った。完璧な大人とチンパンジー以下男。目の前の状況にカオスを感じていると、西澤は、更にカオスを膨らまし始めた。

「津田さんは、どんな思いを込めて活動されているのでしょうか?他人に認めてもらいたいと思いながら作るアートは、アートではなくクライアントワークではないかと僕は思っており、そうなると現代のアートはデザイン化された量産品と言えると思います」

 こいつ、ネットか何かを見て調べてきたな。気持ち悪いを遥かに超えてきた。津田さんは、少しウーンといった表情を浮かべた。

「そうだね。僕は単純に、自分の中から生まれてくるモノを表現するツールが絵や写真、アートオブジェってだけなんだよね。それがたまたま現代アートってカテゴリーで。人によっては、それが小説だったり音楽だったりするんだろうね」

津田さんは、天井を見上げながら続けた。

「えっと、デザイン化された量産品かぁ。でも、現代アートって、そういう部分が実際あるからね。昔に存在した、芸術ってヤツとは違うからさ」

 津田さんは優しい口調で話していたが、西澤は圧倒され始めていた。

「現代アートって呼ぶでしょ?現代芸術とは言わないでしょ?カメラやコピー機みたいな高度な複写技術が生まれた瞬間、芸術は瀕死になったんだろうな。写実的な絵画は写真より劣り、望まれれば作品はコピーされ撒かれる。最後は、ネットが誕生して息絶えた。と、僕は思う」

 津田さんは、深呼吸を一つ入れて、更に続けた。

「結局バレたんだよ。芸術って、他に比べて、そんなに凄いの?って。今まで、芸術家だけが特別扱いをされてた。油絵が上手いと凄い。彫刻が上手いと凄い。みんな凄いんだよ。漫画描けるの凄い。歌が上手いの凄い。料理上手凄い。詩が書けるの凄い。足が速いの凄い。まだまだまだまだあるよ。数えきれないくらいにね」

 僕も西澤も、津田さんの話に惹き込まれていた。津田さんは、笑顔を浮かべながら言った。

「話、長くなってごめんね。まぁ、色んな解釈があっていいんだと思う。僕の作品は、全部コメント解説を付けてあるけど、その通り受け取ってもらわなくていいんだ。思わぬ偶然で、思わぬ感心を生むこともあるしね。誰かの心を動かすキッカケになれば」

 話が一段落した時、僕たち三人は、一つの展示台に人だかりができているのに気づいた。

「『無』の展示台だな」

「無、ですか?」

「ああ、展示台には、敢えて何も載せてない。コメントに、『無』とは、無いモノが有ること。って書いてあるだけなんだ」

 人だかりの客の会話が、漏れ聞こえてきた。

「お金なんて、所詮人間が作り出した幻ってことかな」

「そうだな。元々持って生まれてきたモノじゃ無いモノに踊らされている自分に気づけ、もっと大切なモノがあるぞってことだろう」

 展示台の上を見ると、さっき名刺を取り出すために置いた、西澤の長財布がそのまま置いてあった。

 同じく西澤も長財布に気づいたが、どうも気不味そうで、回収できずにオロオロしていた。僕は津田さんに小声で言った。

「西澤さん、才能ありますかね?」

 津田さんは真顔で答えた。

「あれだけのメッセージを発信できるんだ、きっと大物になるさ」

 

 



 



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?