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犬種による性格の違い、人種による性格の違い

犬は種類によって性格に違いがあるそうです。
秋田犬は知的で温和、飼い主には従順ですが、他人にはやや警戒心が強いとか。シベリアンハスキーは活動的で好奇心旺盛とか。トイプードルは温厚で、通りすがりの人にも遊んでもらおうとするほど友好的とか。

そういえば猫も血統やサイズ、毛色によって違いがあったりしますね。

ハムスターなんて種類ごとの違いが大きすぎて、買う前の勉強は欠かせません。

個体が生まれ持った性格の違いとは別に、育っていく中で身につける性格もあります。
割合としてどちらが強いか、それも個体によります。
知的で温厚な大型犬も飼い方次第ではワガママで警戒心ゼロ、ヨダレや糞尿を垂れ流す知性の欠片もない犬に育ったりします。

人間もそうだと思いませんか?
ヒトは遺伝子的にみな同一の種です。
もちろん個体ごとに遺伝子は違いますから、黒人と白人は違うだろうと言われたら否定できません。
余談ですが、黒人と白人の遺伝子的な違いより、同じ神奈川県川崎市多摩区登戸出身の田中さんと鈴木さんの方が遺伝子的な違いは大きいのです。
その同一の種であるホモ・サピエンスの中でも、生まれ持った性格の違いというのはあります。

不思議なもので、ことヒトに関してだけ「性格は社会的に身についたものだ!」と主張する人がいます。
特に「性差」の話になると、そんなものはないんだ、という声の方が大きくなります。
同じ家で育った犬でさえ性格や性差があるのに、ヒトは違いがあってはいけないのでしょうか?

実は今回「多様性」の話をしています。

「多様性」は違うもの、噛み合わないものをそのまま共存させることです。
クリスチャンとムスリムが同じ土地でそれぞれ不自由なく信仰を守るという話をしている時に「いや宗教に違いなんてないんだ!」という人がいたら、その声を議論に反映させるべきでしょうか?

実際に議論の場では、性別による性格の違いを「社会的に押し付けられたジェンダーロールだ!」と封じ込め、目を背けることが散見されます。
人種による違いなど例に出そうものなら、差別主義者として吊し上げを食うことでしょう。

なぜ、人には違いがないという声の方が通りがいいのでしょうか?
その方が聞こえがいいからです。
クリーンなイメージが付け加えられているからです。
では、誰によって?
一部の意見、しかも科学的に正しくない意見が通ってしまうのは、しかし「政治的に正しい」として許されています。
「政治的正しさ」とはそれほど信頼できるものでしょうか?

正しいものを疑う気持ち、捨ててはいけませんね。

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