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男の子?女の子?それってそんなに重要か?

孫は天使

私は52歳で1歳9カ月の孫がいる。まだほんの小さな小さな、この世に誕生して間がない命だ。

孫というのは背中に羽が生えた天使だ。体の周りにはオーラのような美しい光を纏い、髪の毛はふんわりして柔らかく天使の輪が頭頂に輝き、その笑顔は光っていて部屋中がピカーっと明るくなる。これは大げさでな表現ではない。忠実に写実しても本当にそうなのだ。

その声は誰もの耳と心をとらえるトーンで、泣いても怒っても心地よい波長を飛ばしている。

私の仮説によると、人間というのは自然界では特段に弱い生き物だ。野山に放り出されたらもう途端に生きていけない。

けれど、人間の赤ちゃんというのは別格だ。路上に放り出されても必ず誰かが拾ってくれる。人の情に訴える風貌と声のトーンを持ち合わせており、本能的に生きる力が備わっている。そういうメカニズムで自分の身を守っている。

かわいすぎて誰も放置できない。”かわいい”を武器にして他者の保護を受ける最強の生き物だ。自分の遺伝子を持った孫ならなおさらのことだ。

天使の性別気になるって?

そんな愛する天使を抱いてお出かけすると必ず人に言われることがある。

「かわいいーかわいいー!!」と誉め言葉を言ってくださり、そのあと

「で、男の子?女の子?どっち?」

多少申し訳なさそうに、聞いてはいけないことを聞くかのように声をひそめて聞いてくる。

ヘアはベリーショート(というかなかなか生えてこない)、顔つきもクールなため、わが孫が男の子なのか女の子なのか見た目では見当がつきにくいらしい。

でもいつも思うのだけど、それってそんなに重要なの?「どっちでもいいよ」などと冗談で返答すると、ギョッとした顔をされたりする。

男の子なのか、女の子なのか、ってそんなに重要なことなのだろうか?

私の娘はこの子を妊娠した時から名前を考えていて、その条件は短く呼びやすく「ジェンダーレスな名前にしたい」

その理由は「だって将来、与えられた性とは違う性を選ぶかもしれないし。」

わが娘ながらなんて人権意識が高いのだろうと感心していたのだった。名前はその考え通り男の子でも女の子でも、同じ名前の子どもが実際たくさんいる。オリジナリティーはないが誰にでも愛される、まさしくジェンダーレスな名前だ。

仮に私の天使の名を”なつ”としよう。なっちゃんという男の子も女の子もたくさん知っている。そして呼びやすく覚えやすい、とてもいい名前だ。

そのなっちゃんを連れて娘が出かける際にはやはり「男の子?女の子?どっちですか?」と聞かれるらしい。

見た目のジェンダーレスと名前のジェンダーレス以外に、そう尋ねられる三つ目の要因として洋服の色があるらしい。なっちゃんの着ている洋服はたいがいベージュだったりして、今はやりのニュアンスカラーやアースカラーである。赤ちゃんは意思決定できないから親の好みだろう。

しかしそのカラーにより、男か女か混乱するらしい。

「女の子ならピンクとか赤とか暖色系、男の子ならブルーとかグリーンとか…」「そうやってそれらしい色を選んであげないとダメじゃない」と言われたと言って娘が一度憤慨していたことがあった。

書いていてもばかばかしくてこれ以上書く気もしないが、どうやら世間の人はそんな風に性別によって似合う色を決めてカテゴライズしているらしい。そしてそれを押し付けてくるらしい。怖い。

男の子か、女の子かという線引きはなぜそんな重要なのだろう。付属する性器以外で、見た目でそれを決めている要因は何なのだろう。おまけにどうしてそれによって選ぶ色を制限されるのだろう。謎でしかない。

天使の生き方を狭める性に対する偏見

こうして子どもは生まれた時から社会に当たり前のようにしてまかり通っている偏見にさらされて育っている。何もかも大きなお世話で放っておいてほしいのにそうはいかず、その枠からはみ出すと人は変だと思うのだ。

これからなっちゃんは身に着けるもの、ランドセルの色や、持ち物、制服も、もしかするとやりたいスポーツも遊びの種類も、多くのものを純粋に自分の好みだけで選べなくなり、社会的空気的ステレオタイプによるプレッシャーにより押し付けられることが増えてくるだろう。それがまるで自分の意思決定のように勘違いしながら。

そしてその選択や言動をとらえて、男らしくないとか女の子っぽくなとか言われるのだろうか。いや本当にやめてほしい。

「ちょっと待って、それっておかしいんじゃない?」とどれだけの人が立ち止まって気が付けるだろう。

私の天使がそうやって生き方を狭めていくのは深刻な問題だと思っている。そんな中で大きくなって、もしもその後自分の持って生まれた性に疑問を抱いた時、どうしたらいい?

自分の感じ方を否定し、自分自身を一般的な性のカテゴリー分けに当てはまらない変な人間だと思うかもしれない。そして自分を嫌いになったり責めたりするかもしれない。きっと苦しむに違いない。親が必死に考えて名前に込めた願いは社会につぶされてしまうってことだ。

いつまで今のように自由に笑って怒って泣いて自分を表現して生きていけるだろう。

なっちゃんはなっちゃんであり、私にとっては天使なのだ。男でも女でもどっちでもなくても構わないし、その前に自分にしかない個性を見つけてほしいのだ。愛する天使には自由に自分らしく生きてほしいと真に願っている。


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