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ターミネーター2という映画

ターミネーター2という映画をご存知だろうか。

意思を持った機械、通称スカイネットが人類に対し核戦争を起こし、人類の大半が息絶えた「審判の日」。それを回避するため未来の人類の指導者であるジョンコナーを迫り来る敵から守り、未来への希望を託すという映画だ。

私自身、時代をときめく名作と呼ばれる映画からレンタルビデオ屋の奥底で埃を被りながら今か今かと出番を待っているような映画まで本当に様々な映画を観てきた。

だがしかしこの映画を超える作品に未だ出会えていない。

もし仮に今までの人生で一番好きな映画は?と訊かれたらもちろんターミネーター2と答えるし
貴方にとって人生とは?と訊かれたら
ターミネーター2と答える。
第一志望は?と訊かれたら
ターミネーター2と答える。
それくらいターミネーター2が好きだ。

私が何故ここまでターミネーター2を愛しているのかというと(理由があり過ぎて自分でも引くんだが)大きく分けるとしたら以下の3つである。

①迫り来る強敵に対し1で敵だった人物が味方として出演するという胸熱展開

②1984年と言う年代で機械依存に対する危険性を描いている点

③地獄で会おうぜ、ベイベー

この3つである。1つずつ解説していく。

まず①についてだがここで言う"強敵"がおかしいほどに強い。
T1000と呼ばれる新型のターミネーターで体が液体金属で出来ており体の形状を自在に変化させることが出来る。そのため打撃や銃撃による攻撃が全く効かない、つまりほぼ不死身。恐らくマクドナルドにいるJKより強い。

そんな絶望的な相手に対しどう立ち向かえばいいのか、そう、そこであの伝説のT800・アーノルドシュワルズネッガーの登場である。

あの女戦士サラコナーを上半身だけになりながらもギリギリまで追い詰めたアーノルド・シュワルZenegger(ネイティブ)が2ではジョンコナーを守るために未来から過去へ送られてくるのだ。

熱い、熱すぎる。ナルトの我愛羅、ドラゴンボールのピッコロ、BLEACHの愛染、敵だったキャラクターが物語の中で味方として主人公を助けるという展開はよくあるがその起点はこの映画からなのではないかと思わせてしまうような激アツ展開。
T1000に比べれば圧倒的に性能は劣るものの1を観た者全てに恐怖を植え付けたT800奇跡の復活である。

ゴツい銃にサングラス、革ジャンという男の浪漫を全て詰め込んだようなコスチュームを身に纏いジョンコナーとの邂逅を果たした際の興奮と言ったら計り知れない。
鬼に金棒、弁慶に薙刀、アーノルドシュワルズネッガーにショットガンなわけだ。

②機械依存に対する危険性を描いている点

正直なところ小学生の私はターミネーター2が怖くて観れなかった。今となればホラー映画を1人で観ることに快感を覚えるただのドMに成り下がったのだが、小学生の私にとっては対象を殺すという任務遂行のためなら手足がもげようとも悠然と向かい来るターミネーターがとてつもなく恐ろしかったのだ。(可愛い)

その事を父親に相談したこともあった。
俺「正直言うとターミネーターがもし家に来たらって考えるとこの映画怖くて観れないんだ」

父親「ターミネーターが家に来たら俺が水鉄砲でピュッピュピュッピュで一撃よ、あいつら水に弱いからガハハハ!!!」













俺「……………………は?」

お前は本当にターミネーターシリーズを観たことがあるのか、あいつらを殺すにはプレス機でペシャンコにするか溶鉱炉に突き落とすしかない。生まれて初めて人を殴りたいと思った。俺がもしシルベスタースターロンだったなら辺りは血の海と化し、リングに横たわる父の傍らでエイドリアンと熱い抱擁を交わしていただろう。

前座が長くなったが何が言いたいのかと言うと
機械に依存する未来を1984年という年代で描いているということだ(暴論)

しかし、よく考えてみよう、私たちにとって最も身近な機械といえばスマートフォンがある。

どこに行くのも必ず持ち歩く第3の手と呼ばれる
スマートフォンが人類に対し愛想を尽かし、もし仮に反乱を起こしたらどうなるだろう。
好きな人に送った赤面ライン、忘れ去りたい写真、誰にも言えない悪事の痕跡、誰しも知られたくない秘密が一つくらいはスマートフォンの中に眠っているのでは無いか、もしそれがTwitterやInstagramを通し世界中にばら撒かれたらと思うと、、、おっと誰かが来たようだ。

③地獄で会おうぜベイベー

このセリフだけ知っているという人も多いだろう。原文は「Hasta la vista, baby」というスペイン語なのだが物語の終盤、ここしかないという場面で使われる。この台詞を聞いた後から小学生の私の口癖が地獄で会おうぜベイベーになった黒歴史については後で書いていこうと思うのだが、この台詞にこの映画の全てが詰まっていると言っても過言ではない。

殺戮の権化T800はのちに抵抗軍のリーダーとなる青年と擬似親子のような関係性を通し、言語の本質や人間らしさを理解し学習していく。
そうした過程を経ての「地獄で会おうぜベイベー」なのだ。
そして、物語のフィナーレを飾るグッドマーク溶鉱炉スーサイドに繋がって行く。

人類の未来の為に自ら溶鉱炉に落ち生命を断とうとするT800をジョンコナーが泣きながら必死で止める。
「行くな、僕の命令だ、行くなと言っている」
しかしその制止を払いT800がこう言い放つ。


「人間が何故泣くか分かった。俺には涙を流せないが。」


はい、号泣。目ん玉無くなった。

人間の泣くという論理的に考えれば無駄な行為は人を殺す為に送り込まれたターミネーターには必要の無い機能なのだ、泣きたいのに泣けない。会いたいのに会えない。聴牌連チャンしたいのに聴牌出来ない。
その瞬間ターミネーター2のたった2時間ポッキリの全てのシーンが頭の中に流れ込んできた、未来からの転送、病院からの脱出、車での会話、砂漠でのひと時、サイバーダイン社の爆破、溶鉱炉でのラストバトル、その全てが一つとなり頭の中で咲き誇った。小学生の俺、発狂。

それと同時に映画とはこんなにも面白いものなのかとも思った。
人を一瞬で見たこともない景色に連れ出し、心を揺さぶり映像の中に帰って行く。
その時から映画を好きになった。どんなに怖い映画も観れるようになった。自分の心を揺り動かしてくれるようなワンシーンに出会う為ならどんなに恐ろしいシーンや痛ましいシーンでさえもそれを彩る最高のスパイスとなるのだ。

これから先様々な映画を観ていくと思う。
ありがとうターミネーター2。
永遠に愛することをここに誓います。




先日しゃぶ葉に行った。
トイレに行こうとした私の目の前を二台の猫型配膳ロボットが道を遮った。
鍔迫り合いの末、敗北した。
機械軍の侵攻は今すぐそこにまで来ている。
ターミネーターが命の価値を学ぶことが出来たように私たち人類もまた、そこから学んでいくことができるはずだ。


戦いはまだ、始まったばかりだ。

ダダンダンダダン ッ ダダンダンダダン ッ

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