【文章論】若者がマルを使わない理由
こんにちは、毎日暑いですがいかがお過ごしでしょうか。
アツいといえば少し前に文の終わりに
「。」を打つべきか否かという
熱い論争がありました。
いわゆるマルハラです。
マルハラスメントの略です。
このマルハラなる単語、
その命名は意外と新しく
Wikipediaによると今年作られた造語です。
マルハラがつい最近になってできた言葉であることは
結構意外な感じがしますが、世の中で起こっている現象を
うまい具合に分析し、それにふさわしい名前を付けるというのは
難しいものです。
noteの記事のタイトルなんかもそうですね。
これだ!という表現にたどり着くのに苦労します。
さてこの「マルハラ」ですが、
LINEなどのメッセージアプリを使うときに
マルを打つことで
若手の社会人は威圧感や不安感を覚えるとのことです。
旧世代のビジネスメールが
よりフォーマルなビジネス文書を起源にしているので
マルを文の終わりに常に入れるのと違い
LINEなどのメッセージアプリは私的な利用から
ビジネスユーズに移ってきたので
文章作法がそれほど厳格でなく、むしろ口語に寄せた文体が好まれます。
しかし、句読点を使用しないといっても
その代わりに改行やスペースを使っているので
意味を誤ることは少ないと思われます。
改行やスペースも文の論理性を示す一つの手段です。
そもそも
日本語の読点(「、」←こいつのこと)にルールがあるの?
の疑問が自分のなかで前前からあったんですね。
読点のルールがあいまいなら
句点もその影響を受け、あいまいになるに違いない!
そう思うわけです。
ならいっそのこと句読点を使わなくていいやとなるのも
必然的な流れではないでしょうか。
わたしは句点反対論者ではないですが
読点反対論者のような気がしてきました。
自分が上に書いた文章を見ても
テンが全然ねえ。
本当にこれでいいのだろうか?
読点に関して改善するつもりですが
とりあえずありのままに、自分の思うままに書いてみました。