中江兆民と4人の自由民権議員に見る大阪の民主主義

全文公開。投げ銭スタイルです。


はじめに

本来、議会とは自由、民主主義、反増税の牙城です。しかし、現代においては必ずしもそうとは言えません。実際、大阪の各議会の現状は増税とバラマキの議論ばかりです。しかし、少なくとも明治時代の第1回帝国議会の衆院議員選挙があった時代はそうではありませんでした。反増税の議員を選出するための運動が行われ、実際に大阪で中江兆民をはじめとする自由民権派議員が5名誕生しました。この事実は、議会の本来の役割が果たされていた時代を示していると思います。
今回はそんな時代を紹介します。

民主主義の時代

まず前提として、当時は明治政府の腐敗に対する批判が高まり、開拓使官有物払下事件が起こるなど不満が爆発していました。この状況に耐えかねた明治政府は国会開設を決定しました。一方、自由民権運動も盛んであり、大同団結運動や三大事件建白運動が展開されていました。そんな中、大阪でも国会開設に向けて地域の選挙区の組織固めが行われ、政社や倶楽部が組織されました。これらの組織では立候補者の予備選が行われ、有権者の意思を代弁する優秀な議員が選ばれました。そして、第2回大阪府議会選挙が行われ、自由民権派が大勝し、約半数の府議会議員が改選に至りました。この勝利により、自由民権派は大阪における選挙基盤構築を成功させ、組織と協力議員を手に入れました。最終的に、政社や倶楽部は他の町村にも広まり、第1回衆院議員選挙では、大阪9選挙区の10議席のうち、自由民権派が5議席を獲得しました。

反論に対して

ただ、当時の選挙で選挙権を持つのは高額納税者の男性に限定されていたため、自由民権運動がブルジョアジー的であったとの指摘があるかもしれませんが、それは違うと考えています。なぜなら、自由民権運動の契機となった地租改正などの増税は社会全体に影響を与えたため、階層を問わず、自由民権運動への関心は高かったからです。実際、自由民権派の中には被差別部落の人々や実業家も含まれており、社会階層を問わず多様な人々が運動に参加していました。その証拠に、大阪4区からは中江兆民が選出されており、大阪での自由民権運動が決して表層的なことではないことが分かると思います。

おわりに

以上が大阪の民主主義のストーリーですが、このストーリーを理解することで、減税という主張がいかに由緒正しく、伝統的なものであるかを理解していただけたと思います。
このストーリーが多くの有権者に伝わり、より大きな減税の声となり、地方議員を動かす力となることを心から願っています。

補足

開拓使官有物払下事件:明治政府が北海道で行っていた公金の不正が暴露され、国民の怒りが爆発し、国会設立を余儀なくされた事件です。
大同団結運動:国会設立に向けて、党を超えて協力し、政府に対抗するための運動です。
三大事件建白運動:言論の自由、地租軽減、外交の回復を求めた運動です。

参考文献

参考資料:北崎豊二、近代大阪と部落問題、解放出版社 部落解放研究所、1997年
https://www01.hanmoto.com/bd/isbn/9784759242133

余談

他の都市でも同様の歴史が存在する可能性がありますので、ご近所の図書館などで調査していただければ、減税の先駆けとなるような歴史が見つかるかもしれません。キーワードは第1回衆議院選挙(1890年)よりも少し前の選挙や大同団結運動などですので、興味のある方はぜひ調査してみてください。


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