見出し画像

「遊び」を引き出す教師の役割

 さてさて前回までは、幼児教育とは「遊びを通して行われる教育」であり、「遊び(=幼児の自発的な活動)」を通して幼児は(非認知能力を中心とした)たくさんのことを学んでいる、といったことをつぶやいてきました。

 ここで疑問となってくるのが、じゃあ幼稚園では子供たちが好き勝手に遊んでいるのか?ということです。

 答えはYesでありNoでもあります。
 「どっちなの!?」と突っ込まれそうですが(笑)、正確に言うと、子供たちにとっては好きに遊んでいるのだけれど、それは教師による綿密な準備に裏付けされての遊びである、ということなのです。つまり、子供たち的にはYesなのですが、教師的にはNoです。

 幼児教育も「教育」ですから、そこにはカリキュラムというものが存在します。カリキュラムの詳細はここでは省きますが、「この学年のこの時期には、このようなことをして遊んでこんなことを学んでほしい」といったことが決められています。
 例えば、春~夏の気候がよい時期は、砂や水、泥に触れて思いっきり遊んでほしい、というカリキュラムがあったとします。だからといって、教師が「今日は泥団子を作って遊びましょうね」と言って始めてしまうと、子供たちにとってそれは受け身的となり、「遊び」とは言えません。
 ではどうするのでしょう?カリキュラムにある以上、やらない訳にはいきません。そこで重要になってくるのが教師の存在です。
 幼稚園の先生は、例えばこんなことをします。教室の前の園庭に水を撒いておき、ベチャベチャにしておくのです。或いは、そのベチャベチャの中に先生が入って、泥団子を作り始める訳です。そうすると、そのベチャベチャや先生の姿を見た子供たちはいてもたってもいられなくなります。さっそく自分たちも泥んこの中に入って遊び始めるという訳です。

 幼児教育の専門用語で、この水を撒いておくことを「環境構成」と言い、先生自ら泥団子を作って見本となることを「教師の援助」と言います。
 幼児教育は幼児の自発的な活動を通して行われますが、そのような自発的・主体的な姿を引き出すために、教師はこのようなことを行っているのです。子供たちは、自分から泥団子を作って遊び始めたつもりでも、実は先生の手の平の上で、「するようにしむけられた」わけです。幼児教育が、幼児の無意識に働きかける側面があると言われる所以です。

 ここに幼児教育の難しさがあり、つとむ先生は個人的に面白さとやりがいを感じているところです。こんな準備して、こんな手本見せたら子供たちも遊ぶんじゃないかな~・・・と想定しても、蓋を開けてみたら全然子供たち遊ばない、それどころか気付いてすらいない、なんてこともあります(笑)。
 また、過去の同学年のクラスではうまくいった環境構成や教師の援助が、今年のクラスでもうまくいくとは限りません。常に、子供たちの姿を見ながら、教材研究&自己の関わり方の反省の毎日です。
 それだけに、うまく子供たちの自発性を引き出したり、それが継続したり別の幼児にも広がったりして盛りあがったりしたときの喜びといったら!心の中でガッツポーズしてます(^O^) 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?