教師が話すときには、子どもに話させない。その方法。

「子ども中心の学び」が目指されている現在でも…

僕が初任の先生に伝えたかったことの一つは、「教師が話すときには、子どもには話させない」ということです。
そのための方法を数多く考えるように伝えました。

教室では子どもの声に耳を傾けるようにと、多くの大学や実習などでは習います。
子ども中心の学びが目指されている現在の教育です。
子どもたち一人一人に寄り添うように教育すべきだと多くの教師は思っているし、もちろん初任の先生も思っています。

ただし、その気持ちが教室に秩序を無くし、結果的に子どもたちの学級への安心感を奪います。つまりなんでもかんでも子どもたちの「勝手」にさせてしまうのです。
不規則発言が飛び交う教室は、一見活動的に見えても、誰かを傷つける発言や否定的な発言、学級の空気を悪くする発言が含まれます。

いわゆる黄金の3日間では静かに教師の話を聞いていた子どもたちも、5月のGWまでにはすっかりと素の状態に戻り、まだまだ稚拙な道徳心や語彙力のままに、他者を意識的にも無意識的にも傷つけるようになるのです。

「静かに」「うるさい」ではない方法を

そこで初任の先生が陥りがちなのは、そういった不規則発言を正そうとし、「うるさい!」「静かに!」と叱ってしまうことです。
叱ること自体は悪いことではありません。しかし、そういった注意や叱責ばかりが繰り返されることに問題があるのです。
教室に秩序と安心感を生み出そうと奮闘している教師の言動が、かえって子どもの心を冷やし、教室をさらに居心地の悪いところにしているのです。
授業や学級経営の上手な教師は、そのあたりのことをよくわかっています。そしてそれなりに対応のレパートリーを持っているのです。しかし、当然初任の先生、そしてこれまでに意識的に学んでこなかったベテランの先生には、レパートリーがありません。「柔軟な対応」というものができないのです。これは一刻も早くレパートリーを学び、実際に教室で実践し、自分のものとすることが必要です。

どんな方法があるか

実際に具体的なレパートリーをここに挙げていってみようと思います。
挙げ出すとキリがなく、そしてそれが使える状況も千差万別なので、くわしく一個一個には触れず、「いいな」と思ったものを教室で実践してみるといいと思います。実践してみて初めてわかることがこの世界にはたくさんあります。どれも僕自身の経験と学んできたことで効果は保証済みですから、あとは「皆さんの」教室の子どもたちに合うかどうか、そして「皆さん自身に」合うか合わないかだと思います。こういったことを日々実践できる環境にあることに感謝しつつ、試してみるといいと思います。

  • 片手で口元に人差し指を当て、「シー」のジェスチャーを作り、もう片方の手で喋っている子の方を指差す。

  • あらかじめ教師が喋りたいときには手を挙げるから、みんなも気づいたら手を挙げて口を閉じるように伝えておく。

  • 喋っている子の近くまで行って、教師は他の子どもたちに話をする。

  • 喋っている子たちの方を手の先で囲みながら「そのあたりから音が聞こえます。音を消していってください」と言う

  • あきらかに差別的な発言やいじめにつながるような発言があったら、「〇〇さん。今言ったことをもう一度みんなの前で言ってごらん」と毅然とした態度で告げる。

  • 授業中の発言は全て「です」「ます」をつけるなど、丁寧な言葉使いにする。

  • 「ハイハイ」と言って授業中に手を上げさせない。挙手する時は黙って手を挙げさせる。

  • そもそも挙手指名を行わず、意図的指名や列指名などを中心に授業を組み立てる。

  • 騒いでいる子の方へ見て、目が合ったところで、首を横に振って「今は喋るときではない」と無言で伝える。

  • そもそも授業には無害の発言については放っておく。いちいち注意しない。

  • 子ども同士「静かに!」「うるさい」と注意させない。その声がかえって教室を騒がしくさせる。

  • 読み聞かせなどをして、静かに話を聞く時間を意識的に取るようにする。またフラッシュカード実践などをして、教師の方に注目する機会を授業に意識的に設ける。

  • 静かに姿勢良く教師の次の指示を待っている子の名前を「〇〇さん」「〇〇さん」と次々に呼んでいく。
    などなど。
    挙げ出すときりがありませんし、「(指を出して)これ何本?」なんていう低学年的な稚拙な技もあります。
    とにかくなんでもいいので、レパートリーをいくつかすぐ使えるように持っておいて、ここぞというときにさらっと使えるように教師は練習すべきなのです。

教室を知的な空間に

上記した様々な技術は、将来的にはだんだんと「無くなって」いくべきものだと思っています。どこか調教的な匂いのする実践は、長く繰り返し続けるべきではないというのが僕の意見です。ただし、学級が落ち着き、子どもとの関係ができてくるまでの間は、必要なことでもあると思うのです。俗に言う困難校と呼ばれる学校や、前年度まで崩壊していたような学級は、それが一年続くこともあると思います。そういう方は、どうかめげずにあらゆる方法を試してみてください。

僕には教室は知的な空間であるべきだという教育哲学があります。みなさんも知的で楽しい学級づくりに日々力を入れていってください。応援しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?