ニートな吸血鬼は恋をする 第二章

 翌朝。

「……珍しいね」
「そうかい?」

 愛人は、真紀と共に学校へと向かっていた。

「ようやく学校に行く気になったの……?」
「いやさ。件の犯人が実は同じ学校らしくてさ。ちょっと学校生活を観察しに行くのさ」

歩きながら愛人は、スマホで自分の容姿を確認している。
「……何してるの?」
「見た目をチェックしてる」

真紀はそれを不思議そうに見つめていた。
「……君も女の子なんだから、少しはオシャレをしたらどうだい……?」

真紀の恰好は、いつも高校で支給されている制服――つまりはセーラー服である。ズボラな愛人でさえ最低限いくつかの外出用の私服を持っているというのに、愛人はここ数ヶ月、制服以外で外出する真紀を見たことが無かった。いつも髪の毛は梳いてすらおらず、ぼさぼさの茶髪をうなじあたりで雑に結んでおり、おまけに化粧どころかスキンケアもまともにしていないので、露出している真紀の顔や手にはいくつかの古傷が残っていた。吊り上がった紅い瞳と相まって相手を萎縮させてしまう容姿だ。今どき制服などという時代遅れな服装を進んで着るのはかなり珍しい。

「……いらない。めんどくさいし……」

そう言って女の子らしさなどなど微塵も感じさせず、真紀は毅然としていた。真紀とは、そういう少女なのだ。
 しかし奇妙なことに。

「……あ、師子王さん……!」
「お、おはようございます!」

通学路を歩いていると、校門を抜けたところで、女生徒が真紀に挨拶する。
「おはよう」
「「は、はぅ……!」」
(……なんだこれ)

御覧の通り、真紀はかなりモテる。女子に。
 真紀は心素が豊富なので、昔から周りにもてはやされていたが、高校でさらに人気が出たようだ。豊満な胸を持ってはいるが、うなじあたりで雑に結んだこの髪型では、前から見ると美少年に間違われることも少なくなかった。
 愛人はニートな自分と比べて、少し劣等感を感じた。

「……師子王さん! これ、受け取ってください……!」
「ん……? 何これ」
「え、それは……その……」
(うぜぇ……)

愛人は真紀を放って、先に教室へ向かった。

「……さてと」
 愛人は荷物を置いてから、別の教室へと向かった。
(……神崎灯は、たしか普通科じゃなかったよな……)
 愛人は廊下を歩いていき、総合学科と書かれた標識のある教室に入る。
 総合学科とは、特待性や灯のような成績優秀者などの学校に優れた評価を貰った生徒を集めたクラスだ。
 灯はこのクラスに在籍している。

(……取り敢えず、見つからないように隠れるか……)
 愛人が学校に来たのは、灯の学校での姿を自分の目で確かめることだ。
 もちろん授業に出るつもりはない。
(ここでいいか……ん、なんだこれ……机に大量の手紙……)
 愛人は大きめのマスクをして、机に座って読書を装う。
「……」
(なんか机に入ってんな……これラブレターか……? ん……来たな……)
 愛人がしばらく教室で待っていると、ぞろぞろと生徒達が集まって来ていた。その生徒達に紛れて、愛人は見事に隠れた。

「……」
 愛人に気付いていない灯は鞄を置いて、教材用タブレットを机に置いた。
 それから何をするでもなく、持ってきた本で読書をしている。
(……どう見ても、ただの優等生だな)
 愛人は灯の姿を盗み見る。

「愛人……」
「ん?」

 気づけば、愛人の前には真紀がいた。
(げっ……忘れてた。こいつも総合学科だった……)
 愛人はまずいと思って、咄嗟に灯を見る。
「……」

灯は読書に勤しんでおり、愛人に気付いて様子はない。
「な、なにかな……?」
「ここ……私の席」
「え、あ、そうなんだ。ご、ごめん……」

愛人はそそくさと本を閉じて、その席から立ち退いた。

「愛人……授業に出るよね……?」
「いや、出るつもりはないよ」
「……そう」

真紀は寂しそうにそう言うと、席に座った。
「……そうだ。今日は、この教室に何度も来ると思うから、そのときだけ、席を変わってくれないか……?」
「ん。分かった……」

 愛人はそれを聞くと、すぐに教室を出て行った。
(まぁ分かっていたことだが……何にも無かったな……)
 実は昨日、愛人は送信を押していなかった。
 最後に一日だけ、灯の学校生活を自分の目で確かめておきたかった。
 だが、結局徒労に終わりそうだった。
 愛人は教室に行って鞄の中からスマホを取り出して、屋上へ向かった。

「……まぁ一応、授業中も見とくか……」

愛人は遠目から、灯が真面目に授業を受けていることを確認する。
 やはり何も問題は見当たらない。

「……こりゃ無駄足だったのかねぇ……」

愛人はその後も、休み時間になっても灯は静かに読書に勤しみ、その後の授業でも灯は優等生そのものだった。

「……そういやここ、久しぶりに来たな」

灯を観察することに意味を感じなくなり、愛人は屋上から学校を見渡しながら、スマホをいじって時間を潰す。愛人も昔は学校に通っていたが、その時も毎日のようにこうして屋上で授業をサボっていたのを思い出す。
社会通念として、学生の内に恋愛不適合者であることが発覚し、それが周りにばれるといじめられることも少なくない。もちろん高校にもなればいじめなんてものは無いが、それでも吸血鬼である愛人には、全く友達が出来なかった。そしていつからか、行くことすら億劫になっていた。

「……今更だな……」

久しぶりに学校に来た愛人だが、やはり学校に通う気にはなれなかった。
(まぁ……どうせ俺のことだ……友達がいたところで引きこもって…………)
 そんな風に物思っていると、ふとあることに気付いた。
(とも、だち……)
 そして愛人はもう一度灯を見る。
 今は昼食の時間だ。ほとんどの者は食堂へ赴いている。
 だが灯は自炊しているのか、教室で弁当を広げて黙々と食べている。
(……そういやこいつ……友達いんのか……?)
 思い返してみると、今まで灯が誰かと一緒に居たところを見たことが無い。
(……お……)
 愛人がそのことに気付いて、もしやと考え始めた時、灯は男子生徒に話しかけられていた。
 そして席を立ち、教室を出た。
(……まぁ、そりゃそうだよな……あいつがモテないわけがない……)
 愛人はそれを見て、友達がいないという線が薄いことを察する。
(あいつは……俺とは違うんだ……)
 完全に諦めた愛人は、予め買っていたパンを頬張った。

「あーあ……完全に無駄足だったぜ……」

愛人がそう不貞腐れていると、唐突に声が聞こえてきた。

「す、好きです……!」
 他の言葉は小さくて聞こえなかったが、その言葉だけははっきりと聞こえた。どうやら告白のようだ。
(うわぁ……)
 愛人は猛烈に耳を塞ぎたくなり、イヤホンを取り出そうとする。
 だが、その手はふと止まる。

「ごめんなさい。……あなたとは付き合えないわ」
「っ!?」

その後にかすかに聞こえた声は、間違いなく灯のものだった。
 愛人は急いで声のした方へと走り、屋上のフェンスから身を乗り出す。
 どうやら灯は、校舎裏で告白されているようだった。
(友達じゃなかったのか……!?)
 愛人は灯がその後どうするのかを注意深く見る。
 二人は何事かを言ってから分かれて、灯は歩き出す。
 少しすると、灯はまた教室に戻ってきた。
 そしてまた一人で読書に勤しんでいる。
(……)
 愛人はその後も授業をサボって、灯の様子を見ていた。
 灯はずっと一人で、過ごしていた。
 そして放課後。
 愛人は再び教室の前まで来ていた。

「あ、あのさ、神崎さん。今日俺らカラオケ行くんだけど、神崎さんも来る?」
「いえ、遠慮するわ」

灯はあっさりとそれを断って、席を立つ。
(明らかに友達じゃねぇよな……)
 そしてドアの近くで佇んでいた愛人に気付くことなく、廊下を去っていく。
 恐らくもう帰るのだろう。
(まぁ仮説に過ぎんが……一応、問題っぽいのは見えてきたな……もし、あいつの心素不適合症が特別に、治療可能なものだとして……恋愛を楽しんでいる間は心素が生成されるとしたら……この問題を解決しても、心素は戻らない可能性もある。……いや、そもそも一度吸血鬼になればもう戻ることは無い。血を飲んで安静に暮らせるのを見届けるのが俺の仕事なんだし……)
 愛人がぼんやりとそんなことを考えていると。

「愛人、帰ろう……?」

真紀が、愛人の手を引いていた。

「え、誰あいつ……」
「師子王さんと、手を繋いでいる……!?」

その様子を見た周りの生徒が、ひそひそと話し始める。

「……と、取り敢えず手を離してくれ」
「……?」

愛人は真紀と下校しながら、考えていた。
 幼馴染なので、特に会話が無くても気まずさは感じない。
(あいつの問題の一つは友達がいないこと……だが、男からの誘いは多かった……それにあいつは別にコミュニケーション能力が無いわけじゃない……)
 愛人には、灯に友達がいないこと自体は、正直どうでもいいように見えた。
(問題はもう一つ。何故灯が女子に全く話しかけられなかったのか……)
 灯はその容姿や性格から、老若男女にモテていてもおかしくはない。
(なのに何故か話しかけられるのは男子のみ。それも、明らかに灯に好意を抱いているような奴ばかりだった……)
 要するに、クラスメイトとして話しかける人間がまずいなかった。
 それこそ、避けられていると言ってもいいレベルで。
(学校内でなんかあんのか……? だが俺は何も知らねぇし……)
 ここへ来て、自分がニートをしていたことの弊害が出てしまい、愛人は頭を抱えたくなる。

「愛人……大丈夫……?」
「ん。あぁ、別に何でもないよ」
「でも、悩んでる……ように見える」

真紀は実に率直にそう告げる。
 実際、今の愛人は手詰まりもいいところだ。問題が分かったところで、こういった人間関係の問題を、恋愛不適合者たる自分が解決できるとも思えない。

「まぁ……そうだね」
「……大丈夫……?」

真紀は愛人の顔を覗き込んでくる。

「あぁー……。そう、だね……」
 真紀は優しい少女だ。守秘義務があるので、愛人に事件のことを聞くことはしなかったし、今だって無理に問い詰めようとはしない。きっと愛人が頼めば、何も聞かずに可能な限り手助けをしてくれるはずだ。
 いつもなら絶対にしないが、自分の苦手分野ということもあり、愛人はつい真紀に甘えてしまった。

「じゃあその、ちょっと聞きたいんだけど」
「うん」
「神崎灯って女子生徒……知っているかい……?」

すると真紀は呆れた顔をする。

「……逆に愛人は知らないの……?」
「あぁ。だから困っているんだ。彼女、妙に女子に避けられている気がしてね」
「いやそれは、避けられてるっているより、嫌われているの」
「……何だって……?」

真紀は淡々と説明してくれた。
 神崎灯が市長の娘であることは、入学当初から知られており、愛人の予想していた通り、初めは誰からも好かれていた。
 だが、半年ほど経ったころから、様子が変わり始める。

「周りの人たちが、神崎さんに嫉妬し始めちゃって……」

灯は徐々に、同級生の女子たちに嫌われ始めていった。
 そして灯には大きな問題があった。

「その頃かな? 神崎さんが何人もの男の人と付き合っているって噂になってたの」
「何人もの? 神崎灯が浮気をしていると……?」

そんなはずはないと、愛人は思った。
 今回の事件だって、灯は浮気をされたから引き起こされたものだ。その張本人が浮気をしていたなんて、筋が通らない。
「あ、いや、そうじゃなくて……なんていうか、男の人と付き合ってすぐに分かれて、また違う男の人と付き合ってっていう感じで……」
「……男をとっかえひっかえしてたってことか……」

昨日灯は、何度も破局したことがあると言った。真偽はどうあれ、灯がそう思われたのであれば、嫌われるのには十分だ。愛人には理解できないが、もしかすると、好きだった男子生徒を奪われたように感じていた女子生徒も少なくなかったのかもしれない。嫉妬されるのも当然だろう。

「で、二年生になってからは、ほとんど誰も近づかなくなったの……」
「……なるほどな」

経緯はどうあれ、学校で灯はかなり厄介な立ち位置らしい。

「……愛人の言う犯人って……神崎さんなの……?」
「……あぁ」

ここまで話してしまっては流石に隠せる訳もないので、愛人は素直に白状する。

「……真紀は、神崎さんのこと、嫌いなのか……?」
「別に。……噂は噂だし、仮に本当でも、別にどうでもいいかな……」

昔から恋愛のれの字も無いような真紀が、男癖が悪いからという理由で嫌うわけがない。

「……だよね」

いつも通りの真紀に安心感を覚えた愛人は、再び一人で考え込む。
(……さて、厄介だな……)
 愛人は頭を悩ませる。
(恐らく、噂は本当だろうな……あいつはそう言っていた……)
 もし噂が嘘ならば、まだ噂を払拭するという方法をとれた。
(あいつが学校生活を送って心素が回復することはまずないだろう……)
一度吸血鬼になったものは二度と健常者へ戻ることは無い。
真紀という幼馴染と関わっている愛人でさえ、心素不適合症は治らないのだ。それが当たり前だ。
しかし灯には何故かその常識が当てはまるようには思えなかった。
(だれか……灯にマイナスイメージを持っていない同性の奴がいれば……)
そこまで考えて、愛人はふと顔を上げる。

「……」
「……?」

真紀は、不思議そうに自分を見つめてくる愛人を見つめ返す。

「……真紀ちゃん」
「ん?」
「……次の土曜って……空いてる……?」

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