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【観劇】『舞台 漆黒天 始の語り』大阪公演

ムビ×ステ『漆黒天』 (toei-movie-st.com)

大千秋楽のマチネをLIVE配信で観劇しました。
映画に始まり、東京公演、大阪公演、ついに終わってしまいましたね。
何度も脳みそグルグルされ、自分なりの結論を出しては、ホントにそうか?こっちじゃないのか?と寝ながら、ときに仕事しながら悩み、何度も反芻し、もうこんな作品は初めてですよ。

映画、舞台とも何度観ても追求しきれない、悩みすぎて苦しくなることもしばしばでした。

東映さん、是非、荒木宏文さんを主役にもう一作お願いします。
出来たら、次回は泣き笑いできる作品にしてください。
漆黒天はいろんな意味で苦しい。

始の語りで陽之介が闇堕ちプリンスしちゃったことは今でもショックです。
だって先に映画を観ているので、陽之介が名無しなら映画の内容ってあんまりじゃないですか。
親友も弟子も殺しちゃうんですよ。しかも容赦なくね。

舞台はけっきょく東京前半の配信と千秋楽と大阪公演の配信の3回観ているのですが、大阪最終日の公演にフォーカスすると、最初に日陰党内でもめたときに伽羅が旭太郎にすがる場面、頭ポンポンのあとに肩のあたりをさすりますよね。慕っている人からされるあの仕草ってたまらなく安心しますよね。伽羅の不安な気持ち、子供時代から成長しきれない部分をうまく表しているし、旭太郎もそのあたりを良くわかっていてのあの仕草なんでしょうね。
自分たちの繋がりは案外もろいと言いつつ、旭太郎は彼なりに日陰党の人間を大事に思っているんだけど、けっきょく捨ててしまうんですよね。主要メンバー4人が倒されたせいもあるかもしれないけど、あの時点で全員とは言わないけど2人生き残っていたら、話しは変わっただろうか…

陽之介が伽羅に止めを刺そうとして、「なんだ、やっぱり旭太郎じゃねえか」と言われたところ、あそこが本格的に闇堕ちしちゃうスタートだったと思う。
東京の配信と東京千秋楽だと、この場面が闇堕ちに至る止めを刺されたように感じたけど、大阪のマチネ配信ではここがスタートと見えた。
あくまでもわたしが感じたという意見ですが。
そう見えたので、そうということにしておきます。

さて映画で玖良間士道が「あやつには日陰者の旭太郎として死んでもらわねばならぬのだ」というセリフがあります。
これがどうしてもひっかかるのです。
玖良間は日陰党討伐後も江戸に残る陽之介が本当に陽之介なのか疑っているのではないか…
そしてどちらか一人が生き残って、宇内陽之介として生きてくれればそれで良し、自分のメンツも保たれると考えている部分はないだろうか?

そして映画で真っ先に殺される蔵近、「何も覚えておらぬのか…貴様がしたことも…」「俺の恨みも持っていけ」(多少セリフは違います。ニュアンスだけ受け取ってください)
映画を観ているとき、名無し=旭太郎と思っていたので、日陰党がやったこと、旭太郎がやったことに対しての言葉だと思っていました。
でも舞台を観ると、蔵近も後に陽之介に成りすましていると思っていた方が本当の陽之介だと気づいたのでは?
そして死に際のセリフは、旭太郎に取り込まれてしまった陽之介に対する恨みだったのではないか?
流石にこれは考えすぎでしょうか…でも末満さんは斜め上行く人だから。

まあ、嘘ついている旭太郎にまんまと騙された君たちの罪が重いんだよと私は言いたい。(あそこで蔵近と次郎太が見抜けなかったことで、陽之介は完全に闇堕ちしたと思う。)
でも配信でアップで見ると、あの時の旭太郎の表情は見事なほどに陽之介でした。あれは騙されても仕方ない。
そしてその後に日陰党の亡霊が現れた瞬間、旭太郎に戻ったときの表情の違い。
配信やってくれてありがとう。
アップにしてくれてありがとう。ですよ。

兎にも角にも凄い公演でした。観られて良かった。
映画、9月18日にも観ます。
荒木宏文さん、好き💖

次はにっかり青江単騎出陣、楽しみ~~

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