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【映画】『ゴジラ-1.0』ネタバレ有り

ゴジラ映画が好きなのではなく、「ゴジラ」が好きなんだよ~~と、やはり思う。
ゴジラの新作を観るたびに思うんですけどね。
なのでゴジラの横っ腹にミサイルが命中すると「痛っ!!!」て感情移入する。

自分の中で、ゴジラは最強!!!でなくてはならない。
「ゴジラvs○○」はあまり好きではない。
モスラやキングギドラは良いが、キングコングは論外
そもそも固有の武器をもたない-ゴリラが巨大化したに過ぎない-キングコングに放射線を吐くゴジラと戦える術はない。

前置きはさておき
今作の予告がじょじょに公開されると少ない情報からいろいろな想像が膨らむわけです。
1作目と同時期に出現するのか?
でも太平洋戦争でゼロになった日本がマイナスになるというナレから、戦後すぐなのか?昭和20年とか21年とかに出現しちゃうのか?
それだとビキニ環礁の水爆実験は?

終戦直後か数年後かはさておき、我が国はどうやってゴジラに対抗するのだろうか?帝国陸海軍は解体され火力兵器はない。あったにしてもどの時代でもゴジラに火力兵器は効かないのは誰でも知っている。知恵比べというか、火力兵器に頼らない方法を見つけ出すしかないわけで・・・今回は、しかも昭和20年代前半の我が国は何をひねり出すのだろうか?

「みんな死んだんだっ!」というセリフに被る映像は復員兵が女性に詰め寄られているシーン
声は男性のものでしたが、戦争映画で復員してきた兵士に「生きて帰ってきた」ことを恥だというような圧力があったり、周囲の空気をおもんばかり親も素直に喜べなかったり、というのが当たり前のようにあったので、もしかしてそんな場面があるのだろうか?
そういうのはイヤだなぁ~と思いつつ


始まりは昭和20年
1機の戦闘機が洋上を飛行している。
終戦間近に特攻させるなんてなんと愚かな国だろうか。と思っていると戦闘機は大戸島の滑走路に着陸。
パイロットは敷島。表情や護岸に座り込む様子から故障は嘘なんだろうなと分かる。わたしたちは特攻なんてばかげていると思えるから突っ込まなくて正解さと思うけれど、この時代、この立場にいた先人たちは故障と偽って特攻しなかったことに生涯後ろめたさを感じて生きたのだろうな。
敷島の顔には生きていることへの安堵と後ろめたさが同居していた。

ゴジラが大戸島に現れて(この時はまだ小さい、とっても20m~30mだろうか)ここでも竦んだ敷島は20mm砲を撃てない。そのせいで整備隊は橘を除いてゴジラの餌食になってしまうのだけど、撃っていたら敷島は死んでいただろうし、橘は20mm砲ならゴジラにそれなりの致命傷を与えられると思っていたけどそれもどうだかはわかならい。

この深夜のシーンでは整備兵たちがゴジラに喰われるのですが、(ジュラシックパークの様相)2回目に見た時にこの直後にリタイヤしている人たちがいました。耐えきれない子供たちを見たという書き込みを見ていたので、そうか~・・・気持ちの良いものではありませんよね。

「みんな死んだんだっ!」は翌朝橘から言われる言葉でした。
あぁここなんだ。復員してから親に言われるのではなくて良かったとほっとしました。

ところで敷島の設定年齢はどのくらいなのだろう。特攻兵として集められたのは10代~20代前半の男性。実戦経験なしで初出撃が特攻命令なはず。
敷島は模擬演習の成績は良かったけど実戦なしと言っていたからやはり20代前半の特攻要員として招集された世代なのだろうか。
その割に着陸が巧すぎて、もう少し前から航空隊にいて戦闘教育を受けていた部類に見える。
実家の焼け跡に帰り着いた敷島に生き残った近隣のご婦人が「あんたたち兵隊がしっかりしていれば」(セリフは多少違います)と詰め寄る(予告の映像はここ)ので、学徒出陣ならそうは言われないような気がするし・・・。悩むところではありますが、この映画でそんなことは些末なひっかかりなのであえて無視を決め込みます。

このご婦人役は安藤サクラさんなのですがいい役者さんだな~と思います。彼女の役はこの時は辛く当たるのですが、自分も食べるものがないのに赤ん坊のために食料をわけてくれたり、面倒見てくれたり・・・犯罪も多く発生して大変な時代だったけど、お互い助け合って生き抜いた人たちを象徴するような役回りでした。(戦災孤児たちが差別されたそうです。孤児になったのは愚かな大人たちのせいなのに)

敷島は居ついてしまった赤子連れの女性との生活費を稼ぐため、機雷除去の仕事を始め(危険なので高収入)そこで3人の仲間を得ます。艇長の秋津(佐々木蔵之介)、野田(吉岡秀隆)、水島(山田裕貴)
野田がゴジラへの対抗策立案者となる。
水島の山田裕貴はなんと言っても今年は本多平八郎忠勝。ゴジラは2年前くらいに撮っているのか面差しに少年っぽさがある。それが戦争に行かずに済んだ世代役をやっても無理がない。
「戦争がもう少し続けば自分も行けたのに」というセリフ
命さながら帰ってこられた3人してみればたまったもんじゃない言葉
でも水島世代は純粋に飛行機乗りへの憧れがあっての言葉かもしれない。空襲を受けていない地域で育った人は戦時中のこともやや人ごとな感じがある。(うちの祖母や高齢のおば、おじ達を見ていて感じたこと。)
なので水島もそうなのかな~と思った。
このセリフを聞いた後の対峙は敷島と秋津、野田で異なる。特攻要員、目の前でゴジラに殺される兵士を目の当たりにした敷島は激しい怒りと共に詰め寄り、秋津と野田は穏やかに大人な対応で水島を諭す。
こんなところにも敷島はまだ若いんだなと思わせた。

機雷除去でそれなりの収入を得た敷島は自宅の敷地に小さいながらも家を建てられるほどになった。
東京は少しずつ街らしくなる裏でビキニ環礁水爆実験が行われていた。大戸島に出現した巨大生物はそれに巻き込まれて変容していた。

いよいよ体長50mのゴジラが出現ですよ。

GHQはソビエトと本国がきな臭い状況になっているから軍事行動はしないんだってさ。さもありなんだけど、軍備を持っていない日本にどうやってゴジラを食い止めろというのでしょうね~
上陸したら自分たちも被害を受けるのにね。
え~もちろん1回目の上陸で本部は消滅しますよ。😁
はい!マッカーサー死んだ!(本部と共に放射能光線で瞬殺でしょう。とっとと避難しているのだろうが)
銀座を逃げ惑う人々の中に米兵がいないのはやや不満。(当時はうじゃうじゃ居たんだから)

大物俳優いましたね。😉
友情出演だろうか・・・だとしたらノーギャラ

和光の時計塔、破壊されます。(この時は服部精工舎かな?)東京大空襲でも生き残ったのに。
今は無き日劇も一撃必殺!
当然、その隣の朝日新聞本社も粉々
数寄屋橋も崩れ落ちます。
ビルの屋上からはラジオ放送局員が必死に現在の状況を生放送しています。こういう場面って古い日本映画ではお馴染みでしたよね。ゴジラ一作目にも有ったような気がします。

国会議事堂前に並んだ戦車から砲撃を受けるゴジラ
しかしゴジラは痛くも痒くもない

ゴジラの尻尾の先端から胴体に向かって青白く発光した背びれ?トゲトゲ?が鈍い音とともに突き出されます。
ついにその時が来たのです。
口から放射能を含んだ熱線が国会議事堂方面へ一気にはき出された~~
一直線に放たれた熱線は議事堂の向こうにある青山や渋谷までを焼け野原にしただろうな~

但し爆風は広範囲に被害を与えます。
難を逃れ、敷島と逃げていた典子は爆風に吹き飛ばされてしまったのです。(助かっていましたが)

ゴジラはとりあえず満足したのか海に戻っていきます。今回も皇居までは行きません。
そう、ゴジラは太平洋戦争で戦死した日本兵の魂が生み出した生物だから。
帰れなかった兵士の代わりに日本の地を踏み(ゴジラ的には破壊しているつもりはない。喜んでじゃれているつもり)、なのに戦地に送り出した国会議員が集まる議事堂から攻撃されたので売られた喧嘩を買っての一撃を加えただけ。

そうとは夢にも思わない日本人達はゴジラ対抗措置を準備します。

装備放棄で手放した艦船が戻され、野田が考案したゴジラを深海に高速で沈めて、高速浮上させて気圧の変化で肉体を破壊する作戦に取りかかります。(海神作戦わだつみさくせん)

乗り込むのは元海軍兵と作成に技術協力する企業の社員、そして敷島たち。

生き残るための作戦と指揮官は言っていたが(そもそも作戦とはそういうもの。特攻隊は作戦とは言わない)必ず帰ってこられる保証はない。
腕をケガしていた水島はそれを理由に駆逐艦に乗り込ませてもらえないことに。でもケガをしていなくても乗せまいとしただろうな。

敷島が載ることになる震電ですが、なんと有りますよ。
大刀洗平和記念館 - 平和の大切さを語り継ぐ情報発信基地 (tachiarai-heiwa.jp)

今回のゴジラ-1.0って、人間の優しさを感じる映画だったなと思うのです。

ところでゴジラの爆風を受けて生き残った人たちに痣のようなものが出来ていた、一部でゴジラ菌に感染しているとか言われていますが、ゴジラ菌はあんまりじゃん。

でもまあ次回作で痣のある人たちがキーになるんでしょうね。

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