うつ病の治し方。本当に大変です。part1 うつ病になった経緯について

今日は。
昔話になりますが、私は4年生の夏(最終学年)に中途退学をしています。

その原因はうつ病。不安神経症。身体表現生障害。と診断がつき学校に行き続けることが困難になったからです。

原因は簡単です。
当時医学系の学生だった私は病院実習というものがありました。
もちろん現場に出るためには実習は必須ですし、とてもとても勉強になります。
ですが勉強量が膨大で3時間眠れたら良い。という日が1〜2ヶ月続きます。
肉体的にも精神的にも辛い実習です。

ですが、それはどこの病院に行くことになるのかによって大きく左右されます。
私の実習先になったところがたまたまそういうところだった。それだけです。

そこ以外にも病院実習には行ってます。そちらも厳しくもありますが、勉強になり今でも感謝の気持ちしかないくらいに思っています。

当時私も沢山勉強し、自分なりにではありますが成績も中の上くらいには入れてました。そして期待と不安を胸に実習に行ったのです。

病院では基本的にその日に何があってどんなことを学んだのかを書く日報と、自分が診させて頂いてる患者さんについてのレポートを毎日提出します。
今の時代では考えられないかもしれないのですが、全て手書きで行わなければなりませんでした。
というか私の時代も大半はPCでの提出が普通でした。
ですがそれは実習先次第という時代です。

そのため日報ですら書くことが膨大で、更にレポートとなると眠る暇が本当に少ないのです。
自分の知識と現場での現状の差に頭がパンクしそうになりながら日々書き、提出。ダメなところや間違ってるところなどを指摘してもらい、それを直して、その日の日報とレポートを更に書いて翌日に提出する。
そんな日々です。

ですが私の日報とレポートをちゃんと読んでくれたのは最初の数日だけでした。
それもどこが違う。どう間違ってるとの指摘はなく 違う の一言で返されます。
質問をしても そんなものは学校で習っただろう?何をしにここにきてるんだ?
と。
学校の助けを借りて、病院実習後に学校へ行き。先生に読んでもらい、訂正箇所を直して翌日提出。
それでも返事は 違う でした。
教科書に書いてあることも 違う でした。
翌週には数ページある日報やレポートをパラパラと見て、投げ返されてしまいました。
その病院の他の先生にも助けてもらい、レポートや日報を添削してもらうと、
ここまで実習で掘り下げる必要はないと思うよ?
なんて説明されてるの?
とても親身になり私を助けてくれていました。

これが週5日。毎日続きました。
1ヶ月の実習でこれが始まったのは1週目の終わりからです。
3週目には毎朝、病院のある駅のトイレで吐いてから実習に向かってました。

質問をしても そんなものは学校で習っただろう?
これを毎日言われてしまい。3週目の途中には私はその先生に質問も出来なくなりました。
違う と投げ返されたレポートと日報を持って
また明日までに調べ直します。
これしか言えませんでした。

4週目も同じ。
どうにか1ヶ月の実習が終わり、評価はもちろん ❌
その落とされた理由は   質問に来ない
と一言だけ書かれてました。
どうしようもなかったです。
このひと月で6キロも体重が落ちてました。
その先生が視界に入ると胃が痛くなり、立ってるのも厳しいと思うほどです。
手は震えが止まらなくなりました。
患者さんの前でそんな姿は見せられないので必死で笑顔を作り、冷や汗と脂汗を出しながら目の前の患者さんを大切にしていました。

この実習が終わった後、学校では私が単位を落としたので先生との面談です。
私はすでに心もボロボロで慰めてくれたことは覚えてるのですが、内容は思い出せません。
その後は再実習ということで違う病院に行きました。

そこも勉強は大変だったのですが、理不尽なことはなく無事に合格。
再実習先の最終日、先生からはA評価を貰えました。
どうして前回落とされたのか不思議なんだけど、本当のことを教えて欲しいと言われ、20歳超えてる男である私が泣きながらその先生に理由を話したのを覚えています。

そうしてついに2ヶ月の実習が始まります。
また別の病院へ行きました。
そこは学校の先輩方も働いているし、厳しいけど理不尽はなく本当に勉強になる実習先でした。

ですが、勉強量が膨大で、本当に大変でした。
3週、4週と頑張り順調に進めていました。
ですが5週目あたりから、過労でフラッシュバックが起こり始めたのです。
眠れてないってのもありますが、疲労が蓄積すぎると人間はメンタルにも疲労が出てきてしまうんだと思います。
手が震えてパソコンが打てない。更に睡眠時間が減る結果に。

そして涙も止まらなくなりました。
翌日も実習に向かい、病院近くの喫煙所でタバコを吸ってると、学校の先輩でもあり、そちらの病院で勤務してる先生がきて、私を見て驚きながら声をかけてくれました。
なんで泣いてるの!!!???

言われるまで自分が泣いてることに気がつきませんでした。
そのままその先輩に
病院側には私が言っておくから学校に電話して、そのまま心療内科に行きなさい と。助けられました。

そしてついた診断が、上記した
うつ病 不安神経症 身体表現性障害 でした。

ですが、一つ目の病院のような理不尽はなかったので、私は実習を続け、薬を飲んで手の震えを止めたりしながら実習を継続してました。
ですが、薬の副作用で患者さんの前で目眩がしてしまい。転びそうになってしまったんです。本当に良くない。患者さんに不安を与える行動になってしまったのです。
実習先の先生と相談しつつも、薬の管理も含めて自己管理だ。と。
その通りだと思います。
薬を減らすと手が震えたり、情緒がおかしくなりかけてしまったりと本当に難しかったです。
実習が継続してる分、相変わらずの睡眠不足もあります。
病院実習に行きながら週に2回心療内科に通い、心療内科の先生と話しながら、自分自身を調整していたつもりだったんです。

そして8週間実習の7週目の最終日の後の心療内科で
ドクターストップ
私が思ってる以上に私の身体と心は限界だったんです。
薬との調整ができなかったんです。つまり自己管理が出来ない限界まできてしまっていたようです。

そして学校に連絡が行き、実習は終了。私の単位所得は無理になりました。
実習先の病院に挨拶に行き、感謝の気持ちを伝え、迷惑をかけてしまったことにお詫びをしました。

そして診断もついてるし、私の心も限界だったので、学校を辞めました。

今回は私がうつ病になった経緯をお伝えしました。
次回にどうやって治していったかを書いて行きます。

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