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【エッセイ】守るべきもの

 十年ひと昔というが、明治の世も二十年たって、まだ髷が落とせぬ者がいたという。果たして何人いたのか、数には疎いが、思うに相当数いたのであろう。世の移り変わりに馴染めぬ者も、実は多い。
 成果で給与を決め、巷は外国人で溢れ返り、カジノまで導入したいという。政権は政策の実現のためにあるが、志向する政策の方向性に違和感を覚えるのは筆者だけか。違和感が来る疎水を遡ると、日本文化という水源に想い至る。
 成果主義も、人口減に水増しして対処しようとするような疑似移民政策も、すべては欧米を真似た政策である。これらはすべて、そのままではこの国の風土に馴じまないものばかりだ。 
  契約社会のアメリカが、成果で報酬を決めるのは自国が成り立つに至った文化から、自然に派生したものであろう。しかし、それをそのままわが国に導入しようとしても、土壌が違うので、同じように芽は伸びてはゆかないであろう。最近よく耳にするスタートアップなる就業にも、似て非なるうさん臭さを感じる。
 風土に馴染まない生活を無理に押しつけても、世の中は息苦しさを増すだけだ。いまの政権は保守を標榜しているようだが、実はここにも違和感が漂う。保守とは、国という大河が流れ来た水源を大切にし、水質の濁りに常に気を配りしながら、良い水の流れを後世に引き継ぐ政治のことであろう。金回りをよくしようとする政策だけでは、国は荒ぶだけだ。
 おのれの家系の怨念や、集まる者の政治欲だけでない、混じりっけのない保守が必要だ。オリンピックや観光立国、成果主義。国を揚げてのお祭り騒ぎは分りやすい方向性だが、これだけではあまりに短絡的に過ぎないか。五年後、十年後によく熟した果実が表れて、この国に生まれて良かったと腹の底からじんわりと思える、静かに温泉に浸かるような政策をこそ期待したい。
 この国の政治風土にも、本物の保守政治家が現れてほしいと思う。気持ちよく髷を落とせる人の数が増える将来のために。

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